インターネット日記14 



10月の日記


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1999.10.9〜日記号外 新型iMac DV〜

……のつもりが力つきる。また、今夜あたりに書こう。



1999.10.9〜インターネットの意味2〜

調子の悪かったiMac用のマウスなんだけど、ついに原因が判明した。

何のことはなく、マウスを開けてみると、ボールの動きを伝えるためのローラー(ボールを取り囲むように3ケ所ある)
にほこりが溜まって滑っていたみたい。それでボールが空回りして、思うように動かなかったということか。

動きがいいので、今までのストレスが嘘のよう。
今日、パソコンショップに買いに行くつもりだったので良かったよ、直って。
初心者の人は気をつけましょう。そんなのに気づかない方がおかしいかな。ぐはぁ。

それにしても、東海村事故のマスコミの情報処理スピードは遅いね。裏を取ろうとしているからかもしれないが、僕の分析やネットの友人達の情報なんて数時間で結論に達してしまった。
このあたり、より確実性を追求するために、スピードを殺してしまい、小回りが効かなくなっている。

ネットは「新しいメディア」として、特に告発系ぺージがマスコミで話題になったりしているけど、好意的な記事を見たことがない。
いろいろ問題があり、あまりに過激かもしれないが、そんなに不当な事ではないと思う。マスコミは今まで散々、もっと酷いことをしてきたのに、何を云ってるのか。
だいたい、それなりに支持されなければ問題にはならないはずだから、全てが正しくないとしても、そこに何らかの問題が潜んでいるのは確実ではないかと思う。

実は、ネットは競争の世界で、面白くないものはどんどん淘汰される。
個人HPなら1日50ヒット超えれば成功と言えるし30ヒットでもまずまずだろう。
ところが、100ヒットをコンスタントに超えるサイトは、ランキングとかに加入すればかなり上位に来て、それ自体がアクセスアップに繋がり、ますますヒットは増え続ける。

そうこうしているうちにYahoo(ネットで80%の占有率を誇る?)とかに登録されれば、もう、一見さんでも固定のアクセス数が確保できる。
登録されないとそうはいかないが、ヒットが多くなければ、すなわち、面白くないと登録されない。
完全なパラドックス。

僕が、1年でやっと1万ヒットする頃には、それらのサイト(個人)は最低10万ヒットはしているだろう。
もっと凄いのは、UGサイトでエミュのロムなど置いてたら
2、3ヶ月で80万ヒットぐらいいってしまう。
アダルトなんかも凄いけど。

結局、最初から面白くないとアクセス増えないしダメってことかな。
ああ、無情。厳しい世の中だよ。仕方ないけど。

話を戻すと、ネットに対する恐怖感、実はマスコミとは別の「メディア」として機能してしまうことへの危機意識がマスコミにあるのかもしれない。
それは当たっている。
でも、もう引き返せない。
そのうち、このネットの世界にもコミュニティというか「国のようなもの」ができるかもしれない。
既にできているかもしれないが、ここでは「力」 ではなく、
「面白さ」だけが力になる。

宮台真司のいう「終わりなき日常」が到来して、成熟社会に突入した日本の一番の敵は「退屈」である。

援助交際する少女、オウム真理教に入会する人々、インターネットに住む住人たちも、共に空虚な日常を埋めるため、退屈を紛らわせるために、そういう行動を取っているのではないかと思える。
「終わりなき日常」、本当に怖いのは平和と安定だとは皮肉なものだ。



1999.10.8〜エミュレーターの世界/中級編〜

巷では、speed解散とか2000円札が話題になっているので、
何がしか発言しておくと、上原多香子は女優、島袋は歌手、
仁絵ちゃんは歌手兼ダンサー兼アーティスト(ブラック系)
えりこはバラエティなどがメインになるのではないか、と思う。

2000円札の発行で疑問に思って例のD氏に質問してみたら、どうも外国で20ドル札とかがある理由が、計算を間違わないようにするためだと云うことが判明した。
欧米では「Chenge Money」という習慣があり、買い物をする時は、銀行で細かいお金に両替してからショッピングに出かけるのが普通のようだ。
だから、お店は釣り銭を嫌がる。
どうしてもない時は、例えば950円の物を買い、1000円だすと、まず、お店の人が100円玉に両替してくれる。
そして、100円を50円2枚にする。
釣り銭がいらなくなったところで、おもむろに950円を支払うという。
何か複雑なようだが、ごまかしが効かないのでそう言う習慣があるということだ。
そうなると、何でレジがあるのか解らなくなるが、レジにはchange money用のボタンがついているらしい。
日本では、change money強盗と云って釣り銭を「change」
しているうちにお札を誤魔化すという犯罪も生まれてしまった。日本人にはそういう習慣がないので解らなくなるそうで

本当に欧米の人は馬鹿なのか、数が5ぐらいまでしか数えられないかと思うが、どうも暗算は得意でないらしく、むしろ
日本人のように誰もが暗算ができるという訳ではなく、出来ない人も沢山いて、その人が納得いくようにするには、小学生の算数のようにみかんとかりんごをやりとりするみたいに
お金を確認するという。

ま、日本のように均質な社会は珍しいということか。
総中流意識もそのあたりに原因があるのだろう。


さてさて、エミュレーターについてだが、関連のサイトはWeb上に一杯ある。Webringにも上位にランクされているが
いずれも、ロムをアップしないというのが原則である。

「ロムの話題は禁止、質問にも答えられない」というのが、決まり文句で、最後は「自分で探しましょう」となる。

もはや、それをすると違法になってしまい、サイトを維持できないばかりか、犯罪者として後ろに手が回ってしまう。
だから、エッチ画像のサイトと同様に海外のサイトがメイン
になるようだ。
だいたいエミュの本場はアメリカで海外の無料サイトである「xoom」とか「tripod」などにアップされているらしい。
向こうでも規制はあるし、そのようなサイトは1ヶ月も持たないことが多いらしい。

現れては消え、消えては現れる。
儚い泡のようにWebに漂うロムサイト。
でも、いつまでも現れ続けるというは、需要があるということだし、FC、SFCのソフトは中古市場からいつかは消えてしまうことになる。
MSX、PCエンジン、メガドライブ……もはや製造中止になったマシンのソフトたちは愛好家たちのPCにデータとしてしか存在しなくなる日も近いかもしれない。
セガサターンなどもDCにメインプラットホームが移ってから急速に在庫処分が進んでいるらしい。
今はないが、サターンのエミュが登場する日がくるかもしれない。

そう考えているうちに、そのような消え行くソフトを安価で例えば、50〜100円ぐらいでデータ配信してほしいなと思うようになった。
Nintendoは64DDという物もあるし、将来はネットワークデータ配信を行うようだし、FC、SFCについてはそのようにしてもいいのではないか。
それともデータのマスターは保存されていないのだろうか。
やはり、懐かしいソフトをやりたい人はいるだろうし、子供のこずかいでは、当時は買えなかったソフトも多かっただろう。
そういうことをしてもいいのではないかと思った。

そして、僕も「ロムについては自分で探して下さい」と云うしかない。
実は、検索エンジンで探して少しリンクを辿れば辿り着くのではないかと思える。なぜなら、本体のサイトがあるということは、それを使って個人のパソコン上で楽しんでいる人がいるということだ。

でも、個人の所有する消え行くソフトを交換することは本当に悪いことだろうか。
それは法律違反であるけれど、もう、ほとんど売り上げになっていないものを救済せずに、ただ権利だけを主張するメーカーは本当に正しいのだろうか。
そのあたりがどうも腑に落ちない感じがした。

ま、内容がなかったがこれで中級編を終わる。
上級編は各人が作り上げてほしい。
僕はFF6をやらないといけないし、DQ4も信長の野望天翔記もやらないといけないのでこの辺で終わります。
え?どこで手に入れたって?
いやいや、正規のルートですよ(爆)
中古屋で安かったんでね。
落ちがついたところで、さようなら。



1999.10.7〜エミュレーターの世界/初級編〜

さて、ここのところ堅い話題ばかりだったので、少し軟らかめの話題にしてみる。
この日記のネタについては30ぐらいストックがあり、当分の間、ネタ切れもないが、それは例の会社の上司D氏のお陰であるのだが、世の中には何でも知っている人がいるんだなぁとつくづく思う。
かれは、沢山の資格を持っていて、かつては代議士秘書もしていたらしい。宗教家のところで修行したりしたこともあり教祖にならないかといわれたこともあるらしい不思議な人でもある。

話がそれた。
本題に戻ると、ネットの世界ではエミュレーターと云って、PC上で他のコンピューターのソフトを模倣して動かすことができるプログラムがある。
Mac上でWindowsを動かしたりする「Vaturl PC」などが有名だが、最近話題になったMac上でPSソフトが動くものが勝手に開発されて、ソニーに訴えられたメーカーもある。残念ながら?ソニーはそれを止めることが出来なくて、一度目の裁判は負けたように記憶している。

そう、どうやらエミュレーター(以下エミュ)自体は違法ではないらしい。自分の所有するソフトをコピーして、自分で使ったり、楽しむなら違法ではない。
しかし、自分の持ってないソフトをコピーして使用したり、誰かにネット上で配布したら完全に犯罪になってしまう。
だが、PCの世界ではハッカーに限らず、ソフトをコピーする、無料で配布するという文化が今まで育ってきている。

マニュアルがあるのにソフトについての解説本があんなに売られているのは「マニュアルを持ってない人間が買う」と考えれば辻褄が合うとMac裏マニュアルの著者が云っていたが、それもまんざら、嘘ではないのだろう。
マニュアルが難しいので解説本を買うという人ばかりではないということか。
そのあたりの境界線がネットをしているとあいまいになってしまうというか、はっきり意識できなくなってしまうというのが、実は問題なのだ。
法律の垣根を知らない内に飛び越えてしまう。そういうことがよく起こる。
音楽をとても軽いデータ量(確か1/10ぐらい)まで圧縮できるMP3の問題も実は同じような構造である。著作権違反というのも共通している。

さて、エミュの話に戻るが、何と云っても一番人気なのが日本のゲーム機のエミュである。
Mac専用のエミュサイトとして超有名なエミュネットでは(http://www.emulator.net/ ただし、ここは海外サイトなので全て英語です。僕は英日翻訳ソフトで1万円もするお高い「EtoJ Internet for Macintosh」で翻訳しましたが、翻訳エンジンがとほほ、なので意味が掴めなくて苦労しました)懐かしのMSXとかアミーガとか68000のエミュさえあるが、何と云っても任天堂、セガ、PSのエミュが人気的には一番のようである。

特に任天堂は海外ではNintendo Entertainment System
(NES=ファミコン)と呼ばれスーパーファミコンはsuper
NES(SNES)とか呼ばれて親しまれていて、これにゲームボーイソフトを加えたものが、主にソフトとしてネット上で配布(明らかに違法)されたりしている。
ソフトのことを「ロム」と呼ぶのは、任天堂がロムカセットを使っていたためで、エミュゲームソフト=任天堂ロムという図式が成り立っている。

ロムのコピーの仕方だが、自分の所有するロムをバックアップソフト(秋葉原辺りで部品屋など少し怪し気な店に入ると大抵、置いているらしい)と称する機械で、中身のロムデータを吸い出せばいい。
このこと自体は違法ではない。ただし、自分の所有しているソフトという限定がつくが、エミュを使ってパソコン上で遊ぶのは別に構わないという。
が、最新の法改正では、このバックアップソフトという機械に規制をかけようという動きもないではないが、今のところどうなるのか調べていないのでわからない。

インターネット上には、検索をかけるとこのような説明が書いてあるサイトが無数にある。
エミュレーターは合法であっても、ロムの置いてあるサイトについては犯罪になりかねないので教えてはくれない。
このことについて詳しく知りたい人は、自分で探すしかないが、
「iMacの秘密」(高円寺iMac研究会・監修、リイド社)
という参考図書もあるので探してみてほしい。
http://www6.tokyoweb.or.jp/pure/himitu.htmlという
HPもある。
エミュとMP3、もちろん、iMacのこともいろいろ書いていますのでとても楽しい本です。
では、次回に続きます。


1999.10.5〜マトリックス/現実とは何か?〜

笑えて、切なくて、かっこいい映画「マトリックス」を見てきた。といっても先週の土曜日(10/2)の話だが。

なるべく、ネタバレにならないように書きたいが難しいかもしれない。
だから、今回は内容ではなくその世界観について書いてみたい。これもまた、ネタバレの可能性もなくはないが、少しはましだろう。

さて、カンフーアクションと日本のアニメ、漫画的演出が何かと強調されるかの映画だが、実は、その世界は「夢の世界と現実の世界」を行き来する物語と言えるかもしれない。
マトリックスの世界は、僕たちの生きている世界は果たして現実だろうか?と問いかけてくる。
覚めない夢なら、現実と何ら変わらないではないかと。

君ならどちらを選ぶ?
主人公がそういう選択を迫られるシーンがある。
ある登場人物は現実より「覚めない夢」の方がいいと云う。

だけど、現実とは一体、何だろう?
僕たち人類は現実とは確固としたひとつの世界だと思い込んでいる。
でも、本当にそうだろうか?

この世界観に意義を唱えた思想といえば、アメリカで一大ブームを巻き起こした「カスタネダ」の著作がある。
日本語にも翻訳されて世界的なベストセラーになっている。

彼は人類学者でアメリカのインディアンの「マジックマッシュルーム」、つまり麻薬の研究をしていた。
ある種のキノコには植物性アルカロイドと呼ばれる麻薬の成分を含むものがあり、インディアンたちは、実はマヤとかインカとかいう中南米の文明を作り上げた人々もまた、そういうことを経験的に知っていて、「夢の世界」という「もうひとつの現実世界」と行き来するためにそれを使用していた。

今でも残るインカの原住民の鮮やかなサイケデリックとも言える色彩感覚は、麻薬を使用した時の特殊な感覚に基づいているのではないかと、僕には思える。
かれらは、麻薬を巧みに使うことにより、大変、創造性に富んだ文明を作り上げた。

さて、話は戻るが、その本の内容とは、インディアンの呪術師ドン・ファンが、この「魔法のキノコ」を使えば、人が動物の精霊へと変身できることをカスタネダに告げるところから始まる。
最初は疑っていた彼も、さまざまな体験をしていくうちに、ドン・ファンと呼ばれるその呪術師を師とあおぎ、やがて呪術師の弟子となって修行を積むことになる。
そういう物語である。

呪術師の師匠ドン・ファンが云うのには、僕らが生きている世界はひとつではなく、精霊達が住む世界があり、そこでは人間と世界がひとつとなり、全く違うリアリティの世界が存在するという。
「魔法のキノコ」はそのためのきっかけに過ぎず、修行は幼い頃から刻み込まれた「世界の見方」を一度、破壊して「もうひとつのリアリティの世界」へと生まれ変わるためのものだという。

それで、僕は何がいいたいかと云うと(脱線しすぎて、見失ってました)、麻薬などを使って脳の認識のシステムを変えれば世界が変わって見えてくるということだ。
現実世界とは、人間の感覚〜認識している主体に依存している。これが麻薬が本当の意味で禁止される、法律違反になる根拠である。
共通の現実認識が崩れれば、違う種族になってしまう。
人間では無くなってしまう。

生物は、種族によって感覚器官が違っていて、それぞれが別の現実世界を見ている。こうもりのように音だけで世界を見ている者、魚や昆虫のように人間とは全く違う世界を見ている者もいる。
どれが正しいとは云えない訳で、その感覚は同時にその種族に価値判断の基準を与えている。
何が好きで何が嫌いか、そういうものの基準も最終的には感覚に基づいている。

マトリックスによって支配されている人類。
そんな話はただの映画の中の話で夢だと思うかもしれない。
しかし、この現実の世界にしても「何者かによって支配されている」ことには変わりがない。
それは感覚器官を通してなのだが、それ自体は当たり前のこととして別に気にする人もいない。

この世界にも法則があり、それに従って生きるしかないのは自明のことだろう。
それしか方法はない。
でも、そのことを何か「やらされている」と感じてしまうのが僕の特異性でもある。
ま、考えても仕方ないのであるが、そういうことに気づくことのできる意識というものを何故、人間はもつことになったのか、その理由がどうしても解らない。

ま、現実という名の夢の世界へ帰りますか。
覚めない夢なら、それが夢であろうとなかろうと関係ないだろうし……。


1999.10.3〜東海村原子燃料事故・続報〜

続報です。というか、まとめになります。

作業効率を上げるために、裏作業マニュアルが存在していて
直接、沈殿槽にウラン溶液(ウランと硝酸を混合したもの)をなんとステンレスのバケツ(記者会見の際は、バケツは掃除に使っていたと嘘をついていた。そうゆうニュース画像を直接、見ている)で移していたらしい。
溶解塔→貯塔→沈殿槽というように徐々に少しずつ混合することによって、核分裂反応を押さえ、燃料として濃縮するというのが、本来の工程だった。

裏マニュアルでは溶解塔を省略し、さらに実際の作業工程では貯塔も省略された。この変更は約4年ほど前から行われていたようで、濃度の低い普通のウラン燃料では何も問題は起こらなかったかもしれないし、現に今のところはそういう報告はない。
まさに会社の指示通りやった結果、事故が起こってしまったというのが真相らしい。

当初、予想した個人の責任説(会社側は記者会見で、そんな発言をしているのを見た。またしても嘘だったことになる)は全く外れて、以前の日記にて取り上げたKSRさんの予想通りになった。

後は、後遺症などがどうなるのかだけが問題だが、大丈夫、問題ないの大合唱だが、本当の所はどうなのだろうか。
この辺りで、医師、専門家の発言を待ちたい所だが誰も発言しないだろうね。
自分で調べるしかないかもね。
最後に、掲示板の発言を掲載して結びに変えたい。

■ インターロック ■haruo 投稿日:1999年10月2日<土>15時19分

茨城の事故関連です。
時々機械の設計をやるものとして、設計者及び、施主の責任を感じます。 設計者は、施主の注文に応じて設計します。しかし技術的によく知っているのは 設計者の方ですので、必要なアドバイスをします。しかし、しかし、お金を出す 人の意見が最終的には優先されます。ですから、設計者の責任を問うのは酷かも 知れませんが・・ 機械には、インターロックと言う考えが有ります。

これは、Aの動作の時には、Bの動作は行わない、と言うシーケンス(電気制御 回路)の動作です。
たとえば、「装置の安全カバーが開いている時には、装置はすべて停止する」 と言った条件です。
これは、その会社の安全基準や、方針に沿って、 設計前の打合せ時に確認します。
この時に、当然安全が優先されるはずなのですが、実際はコストが優先されます。 絶対に安全な装置でも、コストが合わないと、作れません。

それは、「企業は、儲からないと存在する価値がない」と言う、資本主義の大前提が有るからです。 日本が原子力を利用するのは、その方が儲かるからです。他の方法よりコストが 安いからです。しかし、今回の様な事故を繰り返すと、住民が拒否反応を起こし、 そのための安全対策にお金がかかります。
それがひどくなると、原子力のコストが 高くなります。

「コストを優先させた為に、コストが高くなる」事になるのです。 電力会社が、燃料生産をせずに、今回の企業の様な所に任すのも、コストダウン の為でしょう。 コストダウンのためには、設備や労働者の質もダウンされる事でしょう。 「安全を無視したコストダウンはしない」と言う心の中のインターロックを、とって欲しいものです。

で私の言いたいのは、「施主は設計金額を値切るな!!」ですが、 一度でいいから、直接施主に言ってみたいものです。 「ええ、何とか予算に合わせますので、よろしく・・・」 としか言えない私が悪い??


                  1999.10.3




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