インターネット日記/週刊誌的考察32
 (インナーチャイルド日記気味)



新世紀、2001年1〜3月の日記

▼今年の方向性としては、情報化社会のなかで混乱しないための
「情報処理の仕方/モノの考え方、見方」をメインテーマとしたい
と思います。しかし、誤報も多い。素直に反省。とほほです。最
近「インナーチャイルド日記」ともいうべき、内省的な愛と苦悩
と自立と成長(であってほしい)の日記となっています (かなり
嘘っぽい)。

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2001.3.20(火)
〜カウンセリング/コンサルティング〜



 最近、Webの世界では「Webコンサルティング」という言葉がよく聞かれるようになった。

 HPのデザイン料はその労力に比してかなり価格が下がっていて、それに付加価値をつけるためにそういうものが必要なのかもしれないが、実はHPの制作とは、その企業の経営戦略
に深く関わってしまうからでもある。

 リサーチ、マーケティング して、サイトの目的を定め、ターゲット(顧客)を絞り込み、コンセプトを固める。
 それはすなわち、その企業の方針や戦略を考えるといういわば「コンサルティング」をしているに等しい。

 僕はここ2年ほど、心理系のサイトで悩んでいる人たちの話を聞いたりしてきた。
 何の資格もないのに「カウンセリング」の真似事をしていた。 気持ちはあるのだが、かなり無責任で相手を苦しめてしまったりした。
 でも、僕にとってはそれで学んだことは多い。

 僕は世話焼きで、それゆえに他人の領域に踏み込んで侵入してしまうので、なるべく他人と距離を取る必要がある。
 それから、自分のできることを見極めて、できないことはできないと断ることも必要だとか、自分の人生を振り返って自分について色々と知ることも出来た。
 
 そういう「カウンセリング」によって他人を見ているうちに自己分析をしたことが、僕には貴重な財産となっている。

 そして、それは「コンサルティング」の基本でもある。
 まず、現状を調査して、問題点を浮き彫りにして、解決策を考え、試行錯誤しながら実行していく。
 
  「カウンセリング」は自分の心の問題を解決するのだが、カウンセラーはあくまで鏡であり、それは自分自身でしか解決できない。 悩みとは考え方を変えないと消えないものだからだ。

 「コンサルティング」とは現実の問題を解決するのだが、その企業なり、そこの社長さんの生き方、やり方を問い直して、企業戦略を再構築していくのが仕事である。

 よく考えれば、その手法と本質は同じような気もする。
 




 

2001.3.10(土) 〜日本の崩壊/再生の道〜



 風邪引いて寝込んでますが、これだけは書いておきたいと日記を書いてます。

 例によって、あまり良い話ではなくて、でも、覚悟をしていた方がいいと思い、今から準備していた方が楽だと思いますので書いておきます。

村上龍の「Japan Mail Madia」(月、水、金と発行のメー ルマガジン、過去ログは有料となるので取っていた方がいいでしょう)など読んでいて、経済の現場で働いている人々のの情報を見ていると、ついに不良債権の精算がはじまるらしい。
週刊誌などでも話題になっていてる直接償却によって、銀行がもう再生の見込みがない企業などを、倒産、リストラなどして整理するようだ。
とにかく、自己資金のない企業は、銀行からの資金を停止されれば即、倒産するしか方法がなくなる。

ソニー、トヨタ、セブンイレブンを擁するイトーヨーカド−
などが銀行業務を始めると言うのも、実は資金を消費者から直接、集めるためで、これからはその他に株式、社債などで市場から直接、資金を集める方法が主流になり、そうじゃないと生き残れない時代になるだろう。

つまり、どこかに依存するのではなくて、より自立度の高い企業が生き残るようになっていく。

そんな社会に生きている僕たちも、実は、自立を求められていて、会社がつぶれても、何処かが拾ってくれたり、自分で事業を起こしたりすることが必要になりつつある。

自立、たぶん、それしか日本人が再生する道はないと思う。

 



2001.3.8(木)
〜鬱病の季節/欲望と恐怖/ 人生の目的/好きなことをやる〜

 
 寒くなってきて、そろそろ周りも元気がなかったり、鬱病気味な人が増えてきた。
 
 実は寒かったり、湿気が多い時期は人間そういうふうになるらしくて、心配しなくても春になったら治るようだ。
 だから、人がそういうふうになる時期と言うのは決まっていて、年末とか、三月、六月頃、精神科は賑わっているはずである。
 それに加え、環境が変わる(入学、進学、人事異動とか)ことで不安が出てくることもあったり、馬鹿騒ぎの後など、例えば、オリンピックやお祭りの後(受験とか決算とか)もそういうことはよくあるらしい。
 そういうことが重なるのがこの時期になるらしいのだ。

 という訳で私も鬱気味だけど、こういう時は対策としては風邪などにかからないように、睡眠などの休息と栄養をしっかり取るのがいい。
 僕の場合は鬱の時は普段、はしゃぎ過ぎて動き回ってるので、かえって都合が良かったりして何か本を大量に読んだり将来について考えたりする良いチャンスだと思っている。
 そして、鬱があける瞬間には必ずひらめきや気づきが訪れるのが分っているので、今は苦しいけど、無理せず、何とか乗り切ろうと耐えることにしている。
 
 人の心はいつも、欲望と恐怖の間をいったり来たりしてしまうもので、自由に行動できないのはそういう理由による。
 恐怖に耐え、欲望にも溺れずというのは難しくて、欲望を追求することに罪悪感をもってる人が多い。
 欲望を持つこと自体は悪いことではなくて、それは夢とか
希望と呼ばれるものも欲望であったりする。
 たぶん、ちょうどその中間の心境で生きれたら人は本当の意味で自由になれると思う。

 それで、僕がこの人生ででやりたいことを考えてみると、奥さんとささやかな家庭を持ち、のんびり暮らすということだけだったりする。
 今、ばたばたと色んなことをしているのは全てはそのためである。
 でも、世の中、暮らして行くためにはお金がいるし、この大変な時代に行き残って行くのには、会社に勤めているだけではダメで、なるべく自立するようにならないといけないらしい。 

 それと小説を書きたいというのもある。
 このサイトを発展させて、オンライン小説をもっと読んで行きたいとも思う。
 HPを作る仕事も考えているが、体力、気力面でマイペースでやらないと出来そうもなくて、小説の批評もそうなんだけど、カウンセリングとコンサルティングというものを極めて問題解決していく方向に生きたいとも思っている。
 実はこれらの本質はまるっきり同じものである。

 それで、最近、つくづく思うのは、僕には自分の好きなことしか出来ないという面があり、その原則を破ると全く力が出せなくなる傾向があることだ。
 結局、好きなことをするしか手はないようだ。
 とはいえ、こつこつ積み上げることも大切であるし、現実は理屈どおりに行かないものでやってみなけりゃわからないということだ。
 結論は行動である。
 ただし、不安や欲から行動してはいけないというのも鉄則である。





2001.3.1(木)
〜禅の高僧/秘伝の伝授/ 人生は0、100ではない〜



 ここ数カ月の間、会社で僕はいつも先輩に自分の悩みの話ばかりしている。
  さすがの先輩も最近、呆れてきたようで、そんな些細なことで悩むなという意味で、こんな話をしてくれた。
 
 先輩がちょうど20才ぐらいの時、先輩は人生に迷って寺巡りをしていたそうだ。
 ある日、寺に行くとみすぼらしい老人が門前で掃除をしていたそうだ。
 その老人が先輩に
「何しに来たのか?」
と問いかけて来たので先輩は事情を話したところ、 その老人は、
「お前、阿呆か?」と馬鹿にしたように言った後に。
「 そんなん簡単じゃ、人生はめしが食えたら一人前じゃ」
 と言い放ったそうだ。
 先輩はなにいっとんじゃ、この爺さんと思ったそうだが、何となく納得して、どういう意味か聞こうとした。
 でも、老人は
「自分の頭で考えて、わかったら、また、来い」
 と言ったそうだ。  

 先輩はそれから3ヶ月後、そして、1年後に三度、老人を尋ねたが、その時にはその老人は他界した後だったと言う。
 その時、中年の僧が応対してくれたそうだが、その老人は禅の高僧で、滅多に人に教えたりしないそうで、本当に判る人を見抜く力があり、その人にのみ教えを伝えるようで、その話を聞きながら、その僧は大変、感心したそうである。


 そして、今、その秘伝は僕に伝えられた(爆)訳だが、僕の経験から言えば、人間はあくまで動物であり、そんなに大したものではなくて、自然の摂理に従い、お腹空いたらご飯を食べて、眠ったり、勉強したり、仕事して生きて行けば良いのだと捉えている。
 先輩もまだ、判らないながら、それでいいのではないかと言っていた。
 ただ、大切なのは、そういういことは知識として知っていても仕方なくて、日々の実体験のなかで自然に了解されるものだということである。
 とにかく、行動しないとはじまらないと思う。

 
 話は変わるが、週刊SPA!の鴻上尚史(劇団第三舞台演出家兼最近は役者もこなす)のエッセイで、芝居の出来は0、100
ではなくて、とちっても役者が踏ん張れば90点とか、80点になることもあり、ダメか、最高かと極端に考えるのは楽だし逃げだと言っていた。

 ぼろぼろになりながらも、限界まで、最後まで踏ん張れば何かの結果は残るし、次に繋がる。
 人生も同じで、綺麗事でないのが人生だと言っていた。
 当たり前だと言えば当り前なのだが。

 最近、僕もそれを痛感しつつあり、痛い想いや無様な姿を晒しながらも、何とかふんばったり、建て直したり、そうやって泥臭い人生を送っていこうと思っている。
 
 表面ばかりなぜていても、人とは深く関われないし、とことん現実を見つめながら、飛び込んで行くしかないと思っている。
 さて、頑張りましょう。






2001.2.28(水)
〜原点/大人の心、子供の心/人という宇宙と理解〜



 ここ数日、スランプ脱出のために日記を書いたり、このサイトに載っている「少女格闘伝説」をIE用にフォントを調節したりして、読み返して、初心を思い出している。

 しかし、あの小説を書いている時の僕は、アイデアが奔流のように浮かび、まったく途切れることのない気力は、今、読み返しても、その「熱さ」が伝わってきて、自分が書いた文章なのに勇気づけられる。

 人は悩んでいる時、身体は動かさないし、何かと集中力が散漫になって、引きこもったり、無気力になる。
 そんな時は基本に戻ると言うか、原点に戻ると調子は次第に上向きになるようだ。


 さて、最近、何故か人間関係について思ったりするのだが
人は子供の心と大人の心を一生抱えながら生きて行くのではないかと思う。
 だから、男女関係や夫婦関係もどちらかが子供役、どちらかが大人役というように固定してしまうと、一方がしんどくなって破綻してしまう。
 
 男の場合、子供としての甘えは暴力などの攻撃性(攻撃ホルモンのせいか?)となって現れ、女の場合は引きこもったり、実家にかえったり、抑鬱、摂食障害などに現れる。
 
 理想を言えば、お互いが自分の子供の部分を認め合い、許し合いつつ、大人の部分で支えあえればいいのだが、それはなかなか難しい。
 人はどんなに惹かれ合っても、相性が良くても、似ていても、それぞれがひとつの宇宙であり、異質な存在であることを理解して、何とか許し合いながら生きて行かなくては上手くはいかないからだ。
 そして、どちらかが一方的に理解してもダメで、お互いがお互いを理解し合わなければならない。
 それはひとつの奇跡のようなものだ。

 だから、今なお、未知の存在でありながら、空気のような存在としてお互いを認識して、でも、いないと何かが欠けているように思える相手がいるなら、それは本当のパートナーかもしれない。
 そういう相手に出会いたいものだ。
 実はもう、出合っているのに気づかないだけかもしれないが。
 


 

2001.2.27(月)
〜田口ランディ/女の問題、男の問題〜


 最近、田口ランディの女性としての告白本のようなものである「スカートの中の秘密の生活・洋泉社・1999/03」、そういうのを読んで感じたことであるが、男の問題はいかに母親から自立して、現実の女性(母親の幻を断ち切って、女性を女性としてありのまま に見れるのかという話)と出会うかということに尽きるように 思う。

  女性の問題はやはり男性と同様に父親からの自立のようでさらに最終的には最近はどうなのかわからないのだけど、社会的とか、父親や家族の男性との密着の影響による性的抑圧の問題に行き着くように思う。
  最近、いろんな女性の話が何故かそういう問題に行き着いてしまう。
 

2001.2.26(月)〜ACとは何か〜


 最近の僕は、ACの自覚のない人とのつきあいが増えている。

 ここ3年ほど、ネットの世界や今の時間がとまっているような のんびりとした職場で、僕は半ば引き込もって(どうみてもそ ういう風には見えないと思うが、今、思うとパワーゲームが及ばない楽園のような職場である)回復に勤めてきたようだ。
  そろそろ、現実のパワーゲームの世界に戻ってみようと、
最近は学校に通ってみたりしている。

  そこで出会った人々も、実は自覚がないだけでACと同じ問題をそれぞれ抱えている。 たぶん、ACの問題は元々世界の中で共依存的な国である日本が敗戦というPTSD(心的外傷)を負ってしまって、今回、バブルの崩壊 後の不況により2度目の痛手を受けたりした、当然の帰結、構造的な問題である。

  日本の共依存的性格は、世界の資本財(工場の機械部品などのものづくりの根本)のほとんどを日本が供給していて、
それを作っている日本の中小企業がつぶれたとしたら世界の工場が止まってしまったり、アジアや世界各国への援助を日本がやめたら、国がつぶれたり(アジアで起きた味の素事件の本質は、減ってしまった日本の援助を引き出すための口実である)というような世界の母親的献身的な行動によく表れている。
 国内的にも大企業のために尽す中小企業、下請け、警察のキャリアと所轄、良き妻、良き母幻想などによく表れていて日本はいわば「AC大国」である。

 そして、最終的には、日本には国としての自立と自覚というものが必要になってくる。
 当然、それには責任も伴う。

 明治以来の革命と言われている省庁と法律の改変(この辺の事はエコノミスト長谷川慶太郎氏の著書が詳しい)により 政治の場から官僚を排除して、政治家の責任をはっきりさせるというが、実際の所、官僚の責任もはっきりさせて欲しいものである。
 大蔵省が行った地価の上昇に歯止めをかけるために銀行の貸し出し総量規制が、いわば全速力で走っていた日本経済に急ブレーキをかけさせてしまったに等しいことをみんな忘れている。
 今の不況の問題は、アメリカの策略にはまっただけかもしれないが(そもそもバブルを起こしたのもアメリカの指示、ようするに日本は戦後、アメリカのシナリオ通り、言いなりに動いてきたパートナー、良き妻である。というか、世界にとっての良き妻である)官僚の政策ミスである。
 
 ま、そんな訳で自立の問題はなかなか根が深いのである。
 僕も頑張らねば。
 


2001.2.13(日) 〜尊厳〜


 久しぶりに大阪のカウンセラーさんのおばちゃんに会ってきた。 約半年ぶりだった。
 
 相談内容は、仕事をして行く上で、どうやったら信用できる人とそうでない人を見分けることができるかということと過去1年間と現在の心理的問題についてであった。

 たぶん、僕が相談に行く時は、問題の答えはなんとなく出かかっている時で、 最終的なヒントやきっかけが必要なためで、今回も迷いが晴れて、聞いた言葉は今後の人生を導いてくれるものになるだろう。

 特に「自分の尊厳を積み上げなさい」という言葉は簡潔であるが、僕にとって一番やるべきことを指し示している。
 これは同時に相手の尊厳に対しても、それをちゃんと尊重すると言うことも意味する。

 

2001.1.23(月)
〜HP制作/2学期の終わり〜

 HP制作の学校も2学期が終わりました。
 後、3ヶ月ほど通うことになります。

 それで、先日、講師のHさん(女性)とクラスメートで打ち上げで飲み会などしまし た。なかなか楽しかったです。
 このクラスは、授業がわかりにくいということで、生徒からクレームがついて、途中で講師が変わるというトラブルに見舞われたのですが、生徒のかわいいけれど、根性あるHさんを中心にメーリングリストを立ち上げて、団結して、かえって凄いクラスになりました。
 なかなか世話焼きをしてくれる人も多くて、おのおのの特意分野を生かして、実に充実してました。
  それでいて各自の自主性は保たれていました。 適切な世話焼きでしたので。

  普通、生徒の3分の1ぐらいしか最終課題のHPはつくれなかったりするのですが、最後の発表会(プレゼン)の時はほとんど全員出席してきて、各自が作り込んできて、やったなあという感じです。
学校でも珍しいらしいです。

  しかし、神戸というか、兵庫県の人は、周りの人に気を使って生きていて、あまり自己主張しない人が多いようです。
 それだけ周りのことに配慮していると言うことだと思いますが。 
 僕なんかにはズバット本音を言ってくれれば良いというのですが、なかなか難しいようです。
 
 でも、講師のHさんはお酒も飲まないのにハイテンションになって子供帰りしてはじけてました。
  僕と同い年の方なのですが、かつては写真をやっていて、東京にいってたことがあり、上品さと気品をもちながら、僕に似た旦那さん(本人曰くデブ専)がいて、子供のように素直な面もある素敵な先生です。

 しかし、後3ヶ月で今のメンバーと離ればなれになるというのは寂しい限りです。
 僕はわかりませんが、彼らとは就職した後も付き合えたらいいなと思ったりします。
 なかなか会わなくなるとそれも難しいのでしょうし、縁があればまた、付き合えることもあるかと思います。

 僕ももし、就職口というか使ってくれる所があれば、転職しても良いなと思います。
 たぶん、自分でサイドビジネス的にやっていくしかないとは思います。
 苦労したとしても、好きなことをして生きるというのは幸せなことかもしれません。 





2001.1.1(月)
〜新世紀の生き方/世界と日本の現実/DreamMakerの時代〜


 新世紀、おめでとうございます。
 今年があなたにとって、いい年でありますように。

 とか何とか言いましたが、色々と厳しい新世紀になると思います。
 ちょっと予測してみますと、世界的には相変わらず、アメリカ主導、ひとり勝ちの世界経済でしょうね。
  為替を操作して、自国に資金を流入させて、借金体質をカバーして、やっていくと思います。
 少しペースダウンはしますが。
  実体は酷いものなのですが、「信用」とか「ビジョン」とかでイメージ操作して凌いでいきます。
 だから、シンボリックアナリストという人々が力を持ちます。 いわゆるコンサルタントと呼ばれる人々です。
  歌手とか、芸術家とかもこれに含まれます。 人に明るい未来のビジョンや希望や夢を持たせる人々です。
 アメリカは ITの次にはバイオ流行りで、世界の少数民族(遺伝子の純度が高いため)とかの遺伝子狩り、特許戦争が本格化します。

 日本はそのお蔭で、貿易黒字なのに円安に苦しみます。
 実際の日本の実力よりも国際的評価は低く、その為替の差
の資金はアメリカにばかり流入して、日本は働けば働くほど
お金を吸い上げられてしまいます。
 知らない間にアメリカにお金をとられている訳です。

 お金は沢山あるけど、将来の不安のために個人消費は伸び悩み不況は続きます。
 こういう複雑な世界では「必要だから消費する」のではなくて「そうしたいから消費する」という風に動機が変化していて、ここでもある種の幻想/イメージが重要になります(このあたりは小室直樹さんの「経済原論」という本がわかりやすいです)。
 だから、日本が景気よくなるためには、何かお金を使いたくなるような「夢」や「幻想」や「希望」が必要で、それを提供できる人が力を持つでしょう。
 「インパク」の監督?の糸井重里。 「モーニング娘。」のつんく。小室哲也や宇多田ヒカルのような人々です。
 幻想を作り出すことのできる人々/DreamMakerの時代が来ます。

  日本はアメリカの指示に従いつつ、IT革命をしていきますが、その本質は合理化と競争社会の到来で貧富の差が広がります。
  今まで日本は社会主義国で色んな面で保護されてきたので本当の資本主義化が進みます。

 Webの世界でも、Webコンサルタントと呼ばれる分野が発展して、経営コンサルタントの分野の人材が流入しつつあります。
  その業界のトップの企業と経営そのものに参画しながら、長い間つきあっていくパートナーとして生きていける会社がいきのころるのでしょう。
  キノトロープが実例です。
 
  でも、日本、EC、アメリカなら、なんとか生きてはいけますので心配はいらないし、自分の好きなことをして、生きたいように生きた方がいいようです。

 多様化して行く生き方の中で、自分の価値観を持って、好きなことをして生きる、それが新世紀の生き方の基本です。
 











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