インターネット日記7 



7〜8月の日記


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1999.8.24
週間アスキー読んでいたら、ついにソフトバンクがインターネット高速通信事業を始めると云う。
東京電力の発電所制御用の光ファィバー網を利用して、マイクロソフトの技術協力により、まずは関東圏に限定してサービスを提供する。
目玉は何と云っても、数万円かかるNTTの常時接続に対して、数千円で1Mbps(NTTは最高128Kbps)を越える常時接続の高速通信網だろう。

とはいっても、地方在住の僕としては利用できるのは、まだまだ先の話になりそうで、NTTの巻き返しに期待したい。
自由競争って素晴らしいと云っておこう。
現在、ケーブルテレビとか衛星による高速通信網も存在するが、初期投資が8万円を越えたりしたら、やはり、二の足を踏んでしまう。
だから、これからは高速で低価格の常時接続が目標だと云うソフトバンクのビジョンはニーズに合致している。
しかし、ソフトバンクは徹底して、ソフト(ソフト開発)にもハード(プロバイダー事業)にも手を出さずに、その背後を支えるインフラ整備に力を注ぐと云うスタンスで成功してきた。そして、ソフトとハードのコーディネイターも兼ねている。
基盤の整備役に徹して、まるで、ビルのオーナーみたいな感じだろうか。
テナント入居者は変わるが、誰が入居しようと部屋を埋めれば儲かる仕組みだ。
今回も同じパターンだけど、このままだと日本のインフラは全てソフトバンクが握っていたなんてことにもなりかねないだろう。
ライバル出現を期待したい。
なんせ、この分野はソフトバンクの独占だからね。

1999.8.22
奇しくも、僕の戦力分析は当たってしまった。
甲子園の高校野球決勝は、岡山理大付属が1−14の大差で
惨敗してしまった。

先発投手の早藤投手はすでに2回表に肘が上がらない状態に
あったようだ。
VTRがあればはっきり分かると思うが、投球ホームをみると球を押し出すようにして投げているはずだ。
これは肘が曲がらない、上がらないために、本来、遠心力を利用して投げる投球というものができなくなっていることを示している。 威力は出ないし、コントロールはままならない。腕を固定して投げているようなものだからである。
しかも腰も痛めていたので、球を投げた後に 踏ん張りも効かず、跳ね上がるようなフォームになっていた。
監督も早藤投手と心中するつもりだったようで、彼がマウンドを降りた後は、控えの投手に経験を積ませるために次々と投入していった。

ま、それをのぞいても相手の正田投手の出来は最高だった。
カーブの切れは抜群で、プロでも打ち崩すのは難しいと思えるようなピッチングだった。
球威が少しない分、コントロールも丁寧にコースを突いていたし、桐生第一の守りも鉄壁だった。

たとえ、早藤投手が万全でも、桐生の勝利は堅かったといううのがホントの所だろう。
ともかく、桐生も岡山も当分、甲子園で上位に行くことはないだろう。
今年は色んな意味で異変の年だったからだ。
プロ野球もダイエー、中日で決まりそうだし、阪神はチャンスだったのに今年もダメだったし。
星回りはよかったけど、人災だったみたいだ。
僕は、今年だけ阪神ファンだったのだが。

1999.8.20 PM5:30
今日は飲み会。
しかし、岡山理大付属高校が決勝進出したのには驚いた。
およそ40何年振りらしい。
僕が生まれてからこの方、ベスト8しか記憶にない。
実は、理大の主力はほとんど兵庫県出身で、滝沢二高と、かつてはリトルリーグのチームメイトだったらしい。
チームカラーは自然体。
池田高校の爽やかイレブンの再来、と思えばいいのではないか。
とにかく、普通にやるだけですという、コメントが異常に多いチームである。
一方、相手の桐生第一も初めての決勝進出であるという。
僕は地元が岡山であるが、群馬県には7年いたので、どちらが勝っても感慨深いものがある。

戦力分析すれば、理大の投手はもう限界だろうし、控えにいい投手もいるが、いきなり決勝では力が出せるかどうか。
桐生の左腕の前には打線も打ちあぐねるだろう。
ま、逆転勝利の勢いと、自然体のふてぶてしい姿勢がどう作用するかがキーポイントになる。
どちらかというと、理大に勝って欲しいものだ。

1999.8.17
ずいぶん、間が空いてしまった。
インターネットをやらない日が、こんなに続くのは久しぶりのような気がする。

コミケは雨の中でも盛況で、僕は二日ほど見に行ったのだけれど、どうも今回は目眩というか、クラクラし通しで、これっといったサークルが見つからなかった。
どちらかというと、見つける気力がなかった訳で、次回は何とかしたいし、いつか参加したいし、もう少し規模の小さい所へ行くか、などとホザいたりしている。

帰りのゆりカモメの中で、女性のサークルのメンバーらしき
人が携帯で話したりしていて、どうも先輩らしい相手との会話は、あんた、親の仇と話してるんかい!と云いたくなるようなもので、ひとりサークルが多いのもこのためかいな、と妙に納得した。
ともかく、今回は接触編というところで、特別に勘弁してやるよと云いたい感じ。
気力がないし、くわしくは次回に続く。

1999.8.12
今日は、何故か死海文書について。
一般的には旧約聖書の写本だと云われているが、僕がエヴァンゲリオンの興味から調べはじめた頃には新たな展開があった。
まず、問題になったのは、キリスト教と死海文書を書いたクムラン教団(ユダヤ教)の類似点が非常に多いことだ。
これはユダヤ教から生まれたキリスト教なら当たり前に思えるが、それを越えた類似点が非常に問題だった。
キリスト教は、クムラン教団のコピーだと云われたこともあったほどだ。
でも、これはイエス・キリストが、クムランと呼ばれる教団
の一員として、30才ぐらいまで暮らしていて、その後、袂をわかったとすれば、辻褄は合う。

このことはキリスト教において、その存在理由を脅かす、重大な事実だったためか、第一次調査は教会の送り込んだ学者
によって、妨害を受け、混乱した。この時、死海写本の一部が隠蔽されたりしたり、その後の死海文書の研究が混乱、どうもどの本を読んでも謎については要領を得ない解説しか書かれない原因となった。

とはいっても、僕の見解では、イエスがどんな教団に所属し
ていても彼の存在価値を脅かすことはないと考えている。
当時の社会は、ローマの支配の下、ユダヤ教の階級、戒律主義 によって腐敗が頂点を極めていた。
そして、その矛盾に目を潰れなかったイエスは貧しい層を中心として革命を起こす。自由と平等を唱え、彼がユダヤの王の血筋、祭司の家系だったことも有利に働き、社会現象になって行った訳です。
だから、磔にされるほど弾圧された。それほどのインパクト
があったようです。

そして、彼の死後、自由と平等という理想は、キリストの神格化と教会の支配に取って変わられた。
組織とはそういうものです。一度、ピラミッド上の組織をつ
くったら最後、腐敗がすすむしかなくなる。

本当は、イエスは心の中に教会を築け、といったはずだ。
教祖がいなくなると、教えは堕落するというのは法則はここでも正しい。
イエスの本当の姿を再現しようとした聖書、死海文書研究家
としてバーバラ・スィーリングというオーストラリア女性の神学者がいる。
彼女の著書『イエスのミステリー〜JESUS THE MAN』NHK出版という本は、そんな教会に頼るのではなく、
イエスの理想を旧約聖書の法則を使って、聖書から読み取るというもので、素敵な試みの本です。
聖書の原典にかえり、キリスト教を考えるには最適の書である。

彼女の説に従えば、死海文書に出てくる義の教師とは洗礼者
ヨハネであり、かれを滅ぼす悪しき祭司、偽りの者とはイエスをさすという。これはあくまでユダヤ教であるクムラン教団からの見方で、信者を新興宗教であるキリスト教に奪われれば、そうも云いたくなるだろう。
イエスははじめ、クムラン教団にいたのに、人気者になって信者の支持を集めたことが、クムラン教団には面白くなかったわけだ。

そういう歴史的事実を、例え話として記されているのが死海文書である。その他に教団の儀礼、慣習、イザヤ書などの旧約聖書の写本などもあり、一部は、ローマ教会により今なお非公開とされているらしい。もう、公開されているのか、確認しないとわからないが。
事情に詳しいクムランの関係者にはそのことはあきらかだという。そして、その知識を使えば、聖書に隠された歴史的事実をもよみとくことができるというのだ。
弾圧されていたユダヤ教徒としては、表面上は分かりやすく奇跡を書いて信者を集め、たわいもない逸話に見せ掛け、そ の実、歴史的事実を読むものが見れば解るように仕組むという二重の意味を聖書にもたしたという。

スィ−リングは死海文書と聖書の時代の歴史、慣習などを徹底的に研究し、ついにそのための知識を全て備えてしまった甦ったクムラン教団の一員である。
なんて凄い人だろう。
彼女の説には今なお、賛否両論があるが、彼女の同僚がいうのには、彼女は我々を勉強させすぎるという。
学術書としても一級品で、そんな聖書の信仰の原典が見える本としてスリリングなミステリーのような本でもある。
読みこなすのは未だにできない僕だけど、もう一回、挑戦しようと思う。面白いのは確かだ。

 

   1999.8.12




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