少女格闘伝説2

 




第二話『帰ってきた少女1』








 神沢勇吾は闘っていた。
 そのつもりだった。
 しかし、今ではそれもまた思い込みだったかもしれぬと
想い始めていた。
 サンドバックを両手でロックして、背後に投げる。
 続けざまにサイド、フロントとスープレックスというプ
ロレスの投げ技を駆使して投げ続ける。
 ゆうに120kgはあるかと思われる砂袋を軽々と投げ
捨てる姿は、さすがに、かつて100年に一人の天才プロ
レスラーと呼ばれていた神沢勇吾だけのことはある。
 しかし、何かが足りない。
 それは、彼自身が一番よく分かっていた。
 全ては秋月玲奈に左腕を折られてからだ。何かの歯車が
狂いはじめたのは。
 だからといって、玲奈を恨んでいる訳ではない。
 彼には分かっていた。自分の油断と驕りがそういう結果
を生んだのだということを。
 だが、プロレスをやめ、引退した今もなおトレーニング
だけは欠かしたことはない。
 プロレスの有名な屈伸運動である、ヒンズースクワット
を二千回。腕立て、腹筋、背筋は100回を10セット。
ランニング10キロ。午後からはボクシング、キック、サ
ンボの道場にも通っている。その他にも無数のトレーニン
グを積んでいる。ほとんどトレーニング漬けの毎日だ。
 とても引退しているとは思えない。
 その全ての道場でトップクラスの実力を持ち、試合に出
ることを勧められている。当然、全て丁重に断っていた。
 そう、彼はいつでも闘える状態にいた。
 でも、何のために?

 彼は今年でちょうど四十才になったばかりだ。
 引退からすでに三年が経っている。確かに引退する年で
はないかもしれぬ。そんなふうに言われたこともあった。
しかし、現役の格闘技選手としてはもう峠は過ぎている、
という見方もできた。
 秋月玲奈に腕を折られて、敗北するのも仕方なかったか
もしれぬ。例え、彼女が当時、たった十四才だったとして
も無理はなかった。あれほどの天賦の才をもつ少女である。
 だか、同時に彼の中で何かが燻(くすぶ)っていた。
 それを忘れるために、引退したあともトレーニングに明
け暮れていた。

 そう、闘っているつもりだった。
 だが、今は確信がもてない。
 自信がない。
 ただ、逃げていただけかもしれない。勇吾は娘の勇と玲
奈の闘いを見て、そう想いはじめていた。
 それでは、一体、どうすればいいというのか?
 思考の流れはいつもそこで途切れる。
 いつもそうだ。
 どうすれば、秋月玲奈に勝てるのか?
 しかも、それは秋月玲奈本人でなく、言わば三年の月日
によって巨大に成長した幻影に勝つということだった。
 そんなことができるのか?
 いつもそこから先には思考が進まない。
 闘う心をくじかれた男。
 それが今の勇吾の姿だった。

 道場に沈黙が訪れた。
 すっかり汗をかいた勇吾の身体は熱く火照っていた。
 たくさんのトレーニングマシンと使い込まれたリングと
マットを勇吾は何の気なしに眺めていた。
 彼の心だけがいつも深い海の底にいるみたいに冷えきっ
ていた。
 が、その日は違っていた。
 もうすぐ、何かがつかめそうな気がした。
 予感があった。
 何かが始まる予感が。
 その時、道場の扉が勢いよく開け放たれた。
 女が微笑みながら言った。
「あなた、そろそろ九州に行ってきたら?」
 それは彼の妻である恭子の声だった。
 九州には秋月流の道場がある。
 そこにいけば何かがつかめるかも知れない。
 彼の脳裏にひらめきが走った。
 どうしてこんなに簡単なことに気づかなかったのか。
 三年もの間、彼を呪縛していた幻影は消滅したようだ。
 長い休息は終わりを告げていた。
 そこには確かに、ひとりの闘士がいた。
 神沢勇吾は立ち上がった。
 再び、闘うために。











   <つづく>

                  1999.3.14








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