少女格闘伝説2

 






『帰ってきた少女11』〜戦う理由〜







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 十文字姫子は、軽い失望を覚えていた。
 なぜなら、楓が20年もの選手生活にピリオドを打って
くれるかもしれないと秘かに期待していたからだ。
 確かに、この神沢恭子の決め技である『フライング・パ
ワーボム』は威力があり、いい技だとは思う。しかし、姫
子をマットに這(は)わすには少々力不足であった。
 しかも、一度、受けた技を二度目に食らって、何の対策
も立てていない、などということは姫子には有り得なかっ
た。
 そう、この技こそ、姫子こと”デビルクィーン”が一度
だけフォール負けを喫した因縁の技であったのだ。
 相手はもちろん、神沢恭子である。
 だが、通用したのは一度きりである。次の対戦では今と
同様、完璧な返し技を編み出していた。
 20年のキャリアは何の工夫もなくて築けるものではな
い。
 普通の選手なら失神してもおかしくはない。
 そんな衝撃が姫子を襲った。
 だが、絶妙のタイミングの受け身は技の威力を半減し、
鍛えられた肉体は分厚い鎧と化してさらにダメージを分散
させていた。
「わざと受けたのよ。楓さん」
 女王は見下したような言葉を放つ。
 顔には余裕の笑みが咲いている。
「うぐっ!」
 突如、楓の表情が苦痛のために歪んだ。
 楓は脇腹を押さえながらマットを転がった。
 姫子の右膝が、落下のわずかな隙にカウンターで入って
いた。
 皮肉にも、楓は自分のかけた技の威力を十分に味わうこ
とになってしまった。
 姫子はゆっくりと立ち上がりながら、無防備な方の脇腹
を爪先で蹴り上げた。
 楓はうめきながら、のたうちまわった。
 このような一見地味な攻撃は、かなり効果的で、楓の防
御技である”風神”を完全に封じ込めていた。”風神”は
打撃技、投げ技に対してはかなり威力を発揮するが、密着
した状態からの関節技、打撃にはあまり有効ではない。
 それがこの技の弱点であった。
 しかし、関節技、接近戦において秋月流が遅れをとるに
などということは滅多におめにかかれないものなので、事
実上、弱点とは云い難い。むしろ、自分の得意分野に誘い
込む、罠のようなものである。
 だか、精神集中とタイミングを必要とするこの技は、今
の楓ではとても使える状態ではなくなっていた。
 それにもはや、これは試合とは云えなかった。
 そもそも、この戦いは”デビルクィーン”の乱入に端を
発したことで、最初からいわば”私闘”でしかない。
 レフリーはさきほど”レッド”と衝突して、担架に乗っ
て退場していたし、セコンドについていた若手たちはあま
りの展開に思考停止に陥っていた。さらに放送席はおろお
ろ混乱するばかりで、フロントは見てみぬふりを決め込ん
でいた。
 マットの上ははもう、完全にふたりだけの世界であった。
 邪魔者のいない、純粋に力だけが支配する空間である。
 何故か、セコンドである神沢恭子はその双瞳をしっかり
と見開いて、じっと楓の様子を凝視するばかりである。
 全く手出ししようとせず、タオルを投げ入れる様子もな
い。
 まさか、見殺しにする気でもないだろう。
 その間にも、姫子は容赦なく楓の身体に蹴りを叩き込ん
でいたぶり続けていた。
 楓は身体を庇いながら、マットを転がり続けるしか術が
ない。
 一方的なリンチのような展開になっていた。
 姫子はこんな弱すぎる相手に期待していたのかと思いな
がら悲しくなっていた。
 思えば、彼女の20年の選手生活は、全くライバルに恵
まれないものだった。
 唯一、例外があるとすれば神沢恭子との闘いであった。
 恭子は何度、負けても必ずはいあがって来ては、姫子を
絶望の淵に追い込んだ。その結果、ふたりの間には幾多の
名勝負が生まれ、姫子は思いもかけない力が自分の内側か
ら涌き出てくるのを何度も体験した。
 プロレスラーにとって、そんな経験こそ至高の体験であ
り、自分の身体に眠る技と力を全て吐き出しても、なおも
届かない相手と闘い続けることは、何ものにも代えがたい
『至福の時』であった。
 それは闘う者たちにとって麻薬のようなものであり、一
度、その快感に身を委ねてしまったら二度と元の平凡な生
活に戻れないと云われている。
 一度、引退した選手がカンバックするのはそんな輝かし
い日々が忘れられないためだ。
 そして、姫子は楓にそれを求めていた。
 楓が、神沢恭子に育てられたことがそんな期待を生んだ
が、それはどうやら思い違いだったらしい。
 もう、いいだろう。
 せめて、最強の技で葬り去ってやろう。
 姫子は、またも孤独な人生へと戻ろうとしていた。
 強すぎることがこれほど孤独ならば、姫子の選手生活に
は今後もそれを癒してくれる強敵は現れないような気がし
た。
 ふと、神沢恭子を視線の先に捉えた。
「どうやら、あなたが最後の強敵みたいね」
 姫子は寂しげに誰ともなく呟いた。
 そして、うずくまる楓の身体をひょいと肩に担ぐと、コ
ーナーポストの最上段に登った。
 すでに楓には身動きする力さえ残っていない。
 仕方がない、と姫子は思った。
 それが私の運命ならば、受け入れるしかない。
 十文字姫子の決め技『インフェルノ・タワー・スイング
・ボム』(ITSB)は、通称インフェルノとだけ呼ばれて
いる。
 この技を受けて、そのまま病院送りとなり、帰って来な
かった選手は多い。
 姫子本人でさえ、ここ最近使ったことがなく、この技を
出すことにためらいが存在していた。
 禁じ手になっていたのだ。
 その封印を姫子は自ら解こうとしていた。
 それは相手選手に地獄の業火、まさにインフェルノと呼
ばれるにふさわしい苦しみを与える。
 当分、ベットの上を苦痛でのたうちまわることになるだ
ろう。
 静寂。
 沈黙。
 観客の息づかい、かすかな物音がリングに届くばかり。
 スイングしながら頭上に掲げられた楓は、その凄まじい
遠心力で意識が飛んでいた。
 それは幸せなことかもしれない。
 次に、身体を砕かれるような衝撃を味合わずに済むであ
ろうから。
 姫子はトップロープを蹴り、空中に飛翔した。
 死へのダイブによって楓は再び再起不能になるかもしれ
ない。
 この広い会場で楓の無事を予想したのは、おそらく、神
沢恭子ただひとりだったろう。
 落下の途中で楓は夢を見ていた。






 

 



   <つづく>





                 1999.6.13









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