冷たい月が姫子を見下ろしていた。 窓の外はすっかり闇が支配していて、月の光が彼女の顔を照らし出していた。 すでにそこには涙はなく、かすかに後が残っているだけだ。 涙はすぐに枯れてしまった。 ベッドに横たえられた体は、もうプロレスをできる身体ではなかった。 当分は絶対安静と医師に堅く言われていた。 右足と左手は完全に骨折していたし、肩の骨にいたっては完治は難しい粉砕骨折に限りなく近かった。 枕元には楓がくれた花束が置かれていた。 楓は見舞いに来たはいいが、泣いてばかりいた。 姫子は仕方なく彼女を慰めるために、 「あなたのせいじゃないわ。私が望んだことよ」 などと言ったりした。 本心ではあった。 しかし、悔しくもあった。 とにかく、自分は負けたのだと、ようやく納得した。 「まったく、楓も馬鹿だけど、あなたも馬鹿ね」 と神沢恭子は憎らしいことを言った。 当たっているから、何も反論できなかった。 そんなことを想い返しているうちに、いつの間にか、窓際に男が立っていた。 精悍なシルエットを月明かりが浮かび上がらせる。 中肉中背で一見、普通の人間に見える。 しかし、ひとめ見れば、異質な雰囲気感じ取ることができるだろう。 眼光はあくまで鋭く、口元には嘲笑としか思えない笑いが浮かんでいる。 決して容姿が劣るわけではない。 秋月玲奈の父親だけあって、それなりに端正な顔つきではある。 だけど、そのためにかえって冷たい印象を与えてもいた。 そして、何よりも「邪悪」としか表現できない独特のオーラをまとった男でもあった。 「負けたようだな」 低く端切れのいい声が響いた。 「見ての通り、無様なもんよ」 姫子は敢えて強がってみせた。 「確かに」 小さく頷く。 「だが、お前の力不足だ。俺の教えた技の力を引き出せなかった」 「それは……」 姫子は反論できなかった。 それは真実だった。 あの技〜死音〜をこの男が使えば、どれほどの威力を持つか 姫子が身をもって知っていたからだ。 「返す言葉もないか」 冷たく言い放つ。 男はそれだけ言うと、窓の外へと消えた。 まるで重力というものを無視したような身のこなしだった。 だが、地上7階の病室からどのようにして脱出するのか、そんな方法を姫子は知らない。 ただ、彼が自殺するような人間でないことだけは確かだ。 カーテンが風で揺れた。 姫子はちょうど、右手が届くところにあるテーブルに何かが置かれているのに気づいた。 それは一枚の紙であった。 大きさはメモ帳ぐらいの小さなものである。 菱形の紙に黒と白の月の紋章があしらわれていた。 秋月流の紋章であった。 裏をめくると、文字が書かれてあった。 「沖縄で待つ」 姫子は声に出して読んでみた。 何度も何度も繰り返し反芻してみる。 しだいに意味がつかめてくる。 姫子の頬に熱いものが伝った。 冷たい月の光はいつまでも姫子を包んでいた。 <第3話につづく> 1999.11.6 |