少女格闘伝説1

 



『異形の少女3』








「あなた、勇は第三試合みたいですよ」
 しなやかな身のこなしの女が連れの男に話しかけている。
 見た目は四十代後半ぐらいで、ショートにした髪に、切れ長
の瞳が強い光を宿している。今日はジーパンに、ブルーと白の
コントラストが映えるスタジアムジャンパー、白いタートルネ
ックのセーターというラフな装いである。
 男の方は黒い野球帽にサングラスをかけていて表情は伺い知
れないが、よく鍛え上げられた肉体がお揃いのジャンパーの上
からでも十分にわかった。
 ふたりは、まるで子供の運動会を観戦にきた夫婦のようにそ
わそわしていた。
 サングラスをかけた惚れぼれするような体格の男が小さな声
でささやいた。
「あまり、大声だすな。気づかれたらどうするんだ」
 女の方はそんなことは全く意に介していないようすでただた
だマイペースだった。
「あなた、相変わらずね。ばれるに決まってるでしょ。そんな
体をした人がそんなにごろごろ世の中にいるわけないでしょ。
こんな帽子なんかかぶっても無駄よ」
 女はそう言いながら男の帽子を取り上げようとした。
「こら、やめろ。何するんだ、おまえ!」
 男はあわてて頭を押えた。
「神沢勇吾さんじゃないですか。奥さんもお久し振りです」
 通りがかりに声をかけたのは、エンジェル・プロレスの岩永
信一郎だった。
「ほら、ばれてるでしょう」
 女はそう言いながら軽く会釈した。
 神沢恭子(かみさわきょうこ)、旧姓は森恭子といって女子
プロレス界では知らぬ者がいないほどの選手だった。今は引退
しているが、現役当時は華麗な技と格闘技色の強いスピードあ
ふれるファイトで、その後の女子プロレスの歴史を変えた異才
でもあった。
「すいませんね。岩永さんにはいつもうちの勇が迷惑ばかりお
かけして。どうですか、勇は相変わらずですか 」
 神沢勇吾はサングラスをはずし、軽く頭を下げながら尋ねた。
 試合会場へつづく廊下のためか、通りがかりの客たちが、彼
に気づいて振り返ったり、ひそひそ話をしている姿が目につく。
 岩永信一郎は渋い表情でうなづいた。
 彼はいつものように紺のスーツを着こなして、髪は七、三に
綺麗に分けられている。
 確かまだ四十代なかばのはずだが、団体を運営、維持してゆ
く心労のためか、顔には深いしわが刻まれ十歳はふけて見えた。
「そうですか。まだ、だめですか」
 神沢勇吾は寂しそうに呟いた。
 恭子は暗くなっている男たち励ますように、つとめて明るい
調子で聞いた。
「それで今日の相手は誰なんですか?」
 恭子の配慮に応えるように、岩永信一郎は口元に少しだけ微
笑みを浮かべた。
「今日は新人の森谷美奈子をぶつけてみようかと思ったんです
が、都合で彼女が出られなくなってしまったもので、予定を急
遽、変更いたしまして、エキジビジョンマッチを行うことにな
りました。対戦相手が秋月玲奈さんなので、五分から十分ぐら
いの試合を予定してるんですが……」
「今、何とおっしゃりました?対戦相手が確か………」
 恭子は自分の耳を疑った。
「ああ、秋月玲奈さんはアイドル歌手ですが柔道の黒帯でもあ
るし、異種格闘技戦のルールを適用すれば面白い試合になると
思うんです。彼女は格闘センス抜群だし、アイドル歌手でなけ
ればスカウトしようかと思うほどの素質を持ってるんですよ」
 岩永信一郎の言葉に、神沢勇吾はしばし沈黙した。
 忘れもしない。
 その名前を聞いた瞬間、彼の左手がズキリと痛んだ。
 むろん、現実の痛みではない。
 苦い記憶が彼の脳裏に浮かんでは消えた。
 かつて、彼は秋月玲奈という名の少女と戦っていた。
 彼は当時、三十四歳でプロレスラーとして絶頂期にあった。
 娘の勇と玲奈のコンビでニ対一のハンディキャップマッチだ
ったとはいえ、わずか十四歳の少女に彼は左腕を折られ、同時
に誇りと自信を失った。
 腕を折られたことが原因ではない。
 油断した自分の驕りが許せなかった。
 自分の慢心が許せなかったのだ。
 それ以来、彼は二度とリングへは戻らなかった。
 彼の謎の引退はその出来事と強く結びついていた。
 だが、彼の表情が変わったのは、ほんの一瞬のことだった。
 岩永信一郎は彼の表情には気づきもせずに話を続けた。
「………歌手になったと聞いた時はがっかりしましたが、まさ
かこんなところで実現するとは思いませんでした。彼女は今で
もトレーニングは続けているそうです。今日の対戦相手も彼女
の方から申し出てくれたんで、正直、迷ったんですが、やって
もらうことにしたんです。ともかく、試合に穴を開ける訳にも
いきませんし、練習を続けていると聞いた時になんとかやれる
んじゃないかと、彼女に賭けてみることにしたんですが…… 。
おっと、いけない。そろそろ試合が始まりますので。たぶん、
面白い試合になるとは思いますよ」
 最後に何ともいえない楽しそうな表情を残して、岩永信一郎
はふたりに向かって軽く頭を下げて、足速にリングへと去って
いった。
 恭子は勇吾の表情を興味ぶかげに眺めていた。
 そして、こんなことを言った。
「岩永さんも一方的にしゃべってばかりで、相当、興奮してた
けど、私もなんか楽しみになってきたわ。あの娘(こ)がどれ
だけ成長したかね。でも、勇は昔より弱くなっているから出だ
しは苦戦まちがいなしね。五分だと厳しいわね」
 神沢勇吾は妻の独り言に答えた。
「せめて十分か、できれば二十分は試合時間がないと一方的な
試合になるだろう」
「勇はスロースターターだから特にね。まったく、自分の娘な
がら、ふびんな子ね」
 ため息まじりに恭子は低く笑った。
 勇吾も同じような顔をしている。
 彼女はふと何かに気づいたように目を見開いたかと思うと、
興奮した口調でしゃべりはじめた。
「こうしちゃいられないわ。岩永さんに試合時間を延長しても
らわないと。ああ、あなたは先に行ってて。後から行くから」
 恭子はあわてて駆け出すと、あっという間に見えなくなった。
 勇吾は仕方なさげに呟いた。
「まったく何を考えてんだかわからん」
 呆れたような言葉とは裏腹に、彼の顔には薄い笑いが浮かん
でいた。













   <つづく>

                    1999.2.13







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