少女格闘伝説1

 



『異形の少女8』








 神沢勇には最初、何が起こったのか分からなかった。
 ただ、全身に無数の衝撃があり、次の瞬間には彼女の身体
 は宙を舞っていたのだ。
「朱雀(すざく)落とし……」
 神沢勇吾だけはその技の名を知っていた。
 忘れもしない。
 その技こそ、彼の腕を折った秋月流の奥技であった。
 そこにいる誰もが何が起こったのかさえ分かっていない時、
ただひとり、神沢勇吾だけが事態を正しく把握していた。
 勇は独特の投げ技で身体を宙に浮かされ、さらに無数の高
速の蹴りをその身体に叩き込まれていた。
 最後に、空に向かって駆け抜けた最強の蹴りが勇の身体を
とらえた時、彼女の身体はほとんど天井近くまで舞い上がっ
ていた。
 この技のおそろしいところは、むしろ、その後だった。
 自由落下してゆく勇は、いつのまにか両手両足を極められ、
背中からマットに向かって猛烈な勢いで叩きつけられようと
していた。
 南方を守護する伝説の四神、朱雀の名をもつその技は、今
まさに神沢勇の身体を粉々に砕こうとしていた。
「ゆうぅっ!」
 断末魔の叫びにも似た、勇吾の声が彼女の耳に届いたのか。
 勇の意識は不思議とクリアーだった。
 人は死ぬ間際になるとそれまでの人生を走馬灯のように思
い返すという。
 そのたった数秒の間に、勇はあのプロテストのことを思い
出していた
   勇は自分のもつすべての力を解放した、最高のジャーマ
ンスープレックスホールドをその時、放っていた。
 疲労の頂点にあった彼女の身体は、最後の力をふり絞って、
その技を繰り出していた。
 その技の後には、彼女の力は一滴も残っていなかった。
 最高の充実感と快感が彼女の身体を熱く包んでいた。
 身体の力を最後の一滴まで、ぎりぎりとふり絞るような闘
いがしたい。
 自分のもつ最高の技を出しても、それでもなお、かなわな
い相手と彼女は闘いたかった。
 たったそれだけ、シンプルな意志だけが彼女の中に生まれ
ていた。
 だが、現実は違った。
 彼女の技を受け切れるものは皆無に等しかった。
 あのプロテストの時のように、相手の身体を壊してしまう
のではないかという恐怖が彼女を呪縛していた。
 いつも手加減ばかりしている自分が嫌だった。
 だが、彼女の前にいる、この少女は何のためらいもなく、
すべての秘技とパワーを勇の身体に叩き込んでくる。
 勇はまだ、それに答えていない。
 力を出しきっていない。
 そうだ。
 あの時のような最高のジャーマンを出すのだ。
 そう思った時、彼女の身体は自然に動いていた。
 驚異的な力が彼女に宿っていた。
 空中で両手の関節技を外した。
 その直後、彼女の肩はマットに叩きつけられていた。
 かろうじて勇は受け身を取っていた。
 普段の勇なら全く動けなかったかもしれなかった。
 だが、勇の身体は凄まじい潜在能力を発揮しつつあった。
 技が決まった時、誰もが油断する。
 秋月玲奈といえども例外ではなかった。
 しかし、たとえ分っていてもかわせるものではなかった。
 おそるべき加速が勇の身体に生まれていた。
 気づいた時には、勇は玲奈の背後に回り込んでいた。
 玲奈の腰を両手でがっちりとロックする。
 次の瞬間、そのまま背後に投げていた。
 勇の身体はきれいな弧を描いて、玲奈の肩をマットに沈め
ていた。
 ジャーマンスープレックスホールド。
 その打撃音は会場中に響き渡った。
 すさまじい衝撃がリングを震わせた。
 おそらく、まったくの不意を突かれた攻撃の衝撃で玲奈の
脳は揺さぶられ、意識は一瞬にしてどこかに飛んでしまって
いるに違いなかった。
「くうっ!」
 が、玲奈もまた尋常な身体ではなかった。
 一瞬にして、腰をつかんでいた勇の腕を振り払ったかと思
うと、驚異的な回復力で、すぐさま起き上がったのだ。
 逆に、態勢をを整えようとした勇に襲いかかっていた。
 蹴りと正拳の打ち合いととなった。
 嬉しかった。
 勇の前には、力の限り闘える強敵(とも)がいた。
 ただ、嬉しかった。
 玲奈といっしょに、いつまでも闘っていたかった。
 遠くで、ゴングが激しく打ち鳴らされているのが聞こえ
る。
 もはや、ふたりの闘いをそんなもので止めることはでき
なかった。
 ふたりは、ただ闘うだけの二匹の獣であった。
 何か熱いものが勇の身体を満たしていた。
 次の瞬間。
 勇の身体に歓喜が湧き上がった。










   < 第一話 完 >

                    1999.3.6









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