投稿エッセイ
    








『大学受験』           
                  
                  カナリヤ


 


 雑誌を見ていたら「主婦が、大学で学んでいる」というぺージに、私の目は釘付けになりました。
私には、過去に、同級生の九十九%は四大に行っているのに、私はその他一%の部類に入り、短大
に進学をしてしまったという、コンプレックスがあるのです。
それに加えて、その頃はまっていた講座巡りが、私を大学受験へと駆り立ててしまったのでした。
講座巡りは、家庭教育に関するものに始まり、主として発達心理学を好んで受講していたのですが、
いろいろな大学の先生方が、目の前でされる講議を聞くのがおもしろくて、語学から環境論まで手
を広げてしまっていて、もっとおもしろいものは、ないものかと探していたところだったのでした。

 雑誌によれば、社会人入試というのがあるそうなのでした。早速、本屋さんで調べてみました。
社会人入試を実施している大学は、兵庫県にもいくつかありました。その中から、興味のある学科
を選び、そして通学可能と思えるところを選ぶと、五校受験できることになりました。
受験科目は、英語と小論文です。
英語は、学生の頃、出来ない方でもなかったしと思いながら、娘の教科書を見てみると、どこまで
が主語なのか分からないのです。
やっぱり二十年以上学校教育の英語と、無関係な生活をしてきた私には無理かと、一度はがっかり
したのですが、高校生が読んでいる教科書が読めなくなってしまっている事がくやしくて「中学英
語からやり直して、あの教科書を読むぞ」と、思ってしまったのでした。

 その頃、息子が高校受験生で、学校で買わされた受験用のテキストがあったので、それを小手始
めにやってみました。まさかとは思いましたが、doseも忘れてしまっていて、書けないのです。
「そんなバカな・・・」と、その日から、受験生の息子のテキストを取り上げて、猛勉強を始めた
のでした。その甲斐あって、中学英語は一ヶ月でクリア出来ました。
そして、高校英語へと進んだのですが、その頃には娘が私の英語の家庭教師と化して、次々と課題
を与えてくれるのでした。
娘のお陰で、私の英語も勘が戻ってきました。そして、この調子なら社会人入試も夢ではないと思
ったのでした。

英語に少々自信が付いた私は、今度は小論文とやらを調べてみました。いくら『小』といっても、
論文なんて書いたことがありません。それでK大学へ出かけて行けば過去問題を見せてもらえる事
が分かり、見に行く事にしました。ライフサイクルや生死と、漠然としていてよくわからないけれ
ど、字数にして多くても千字程度の文章を書けばいいのでした。千字程度の文章という事だけが救
いでした。
しかし、その問題量の多さといい、ついでに見て、さっぱり解読出来なかった英語といい、K大が
遠い存在に思えたのでした。でも娘との英語もおもしろいし、漠然としたまま、ライフサイクルや
生死に関する本を読んでみる事にしたのでした。本も読み出してみると、今まで何となく考えては
いたけど、突き詰めて考えようとしなかった事に触れてしまったみたいで、答えを求めて、あっち
の本こっちの本と、手当りしだいに読んでいて、気が付いてみると、何となく自分の考え方のよう
なものが出来てきているのでした。

 そして夏休み、新聞の折り込み公告を見ていて、予備校の四日間集中講議というのを見つけまし
た。電話で問い合わせてみると
「生年月日を、お願いします」と言われ、 生年月日を言うと
「えっ? 子供さんの生年月日ですよ」と言われたのでした。
「はぁー。あのー、受講したいのは、私なんですよ・・・。実は・・・」と 、説明をすると、気持
ち良く受け入れて下さったのでした。早速、予備校へ行って受講料を払って、テキストを受け取り
ました。

四日間、六十分の授業が毎日二回、計八回の授業でした。テキストを貰ったものの、一回六十分の
授業の為の予習に、私は二時間もかかってしまうのでした。
そして、集中講議が始まって、予備校に行ってみると、それまでは目で英文を見て、一人でやって
いたのが、授業では当たり前の事なのだけど耳から英文が聞こえてくるので、それに慣れるのに大
変だったのでした。
それでも四日間は、毎日英語漬けみたいだったけど、それなりに現役の受験生達と肩を並べて授業
を受ける事が出来て、四日目が終了した日には、達成感があり大満足で、娘と息子を誘って、近所
のトンカツのおいしいお店に行き、トンカツを食べて、記念に娘とプリクラも撮ったのでした。
息子がばか騒ぎをしている私を冷ややかな目で眺めて、プリクラに参加してくれなかった事だけが、
未だに心残りな事なのです。
そして、英語にも少し手ごたえを感じてきた私は、この調子なら社会 人入試も夢ではないと、本気
で思うようになりました。

 社会人入試は、ほとんどが十一・十二月頃に行われるので、九月頃から願書を提出するのでした。
私にとって受験可能な大学の願書を一校ずつ取り寄せて、書類を作成していくという作業が始まり
ました。
社会人は願書に、入学志望理由書とか社会人としての体験記録書とか、そういう書類が必要なので
した。そして願書作成に四苦八苦し、願書も受理され、いよいよ受験日となりました。
まずは、難関のK大からでした。K大は試験日が二日間に渡り、一日目の午前中に英語が二時間、
そして午後に小論文が二時間で、二日目に面接が行われました。

一日目、持ち込み可の辞書を鞄に入れ、受験票を持ってK大の門をくぐりました。定員十名のとこ
ろ、約五十名程集まっていました。老若男女を問わず、実にいろいろな方がいました。
老眼鏡を四種類も並べておられるおじさん。
超ミニスカートをはいた足を組んで、廊下のソファーに座って、スパーッと煙草を吹かしている、
茶髪でロン毛のお姉さん。
「私達の、毎年の恒例の行事なの。この受験・・・」と言って騒いでいる主婦らしき方々。
「私大の歯学部に行ってたんだけど、経済的な理由で続けられなくなってね・・・」と話してくれ
た若い男の子。と、実に様々な人達の集まりでした。
そして、英語の問題が配られました。開始の合図と共に教室中に、辞書をめくる音と鉛筆の音が響
き渡りました。

私は何だかドキドキしていたのでしたが、第一問目が意外にすらりと理解出来た為か、少し落ち着
いてきました。
そして、次々と辞書を捲めくりながら、最後の英作文に辿り着いた頃に時計を見ると、もうほとん
ど時間がなくなっていて、でも何か最後まで出来た事が嬉しくて、時間いっぱい使って英作文をし
て、見直す暇もなかったけど、我ながらよくやったという感じでした。
お昼休みに外へ出てみると、遠くの物がボーッとしか見えないのです。
目が近くの物にしか焦点が合わなくなって、年齢をひしひしと感じながら、午後の論文に備えて外
で山を見たりして目を休めたのでした。
そして、午後の論文が始まりました。文章を読んでは、とにかく思った事を書くという方法で、次
々とこなしていったのです。
意外な事に、全部書き終わると、まだ三十分も時間が余り、不自然かなと思う文を修正したりする
事が出来たのでした。

 次の日は、面接です。
集合場所に行ってみると、昨日と違って、私もそうだったのですが、皆さんスーツを着て来られて
いるのでした。緊張しながら順番を待ちました。私の番になって、面接室に入ると、五人の先生方
がおられて、まず「志望理由を述べて下さい」と言われ、志望理由書に書いたような事を話したの
でした。
それからが、意地悪な質問ばかりで「あなたは、短大を卒業されていますね。編入試験をお受けに
なるべきだったのじゃありませんか?」とか
「そのお年で、若い方達と一緒に、体育が、お出来になられるのでしょうか?」
「失礼ですが、第二外国語に、お困りになられるのではないですか?」とか、本音ではとても答え
られない質問ばかりされたのでした。
何とかやる気満々という態度を貫き通したつもりだったのですが、本当に疲れました。
面接が終わり、外で一緒になった五十代の女の方は「私の人生の賭なの!」と言われていて、
「すごい!」と思いました。

そして、その翌日は、M女子大の試験日でした。
私は、K大の入試を無事に済ませたという自信があったのか、少々余裕という感じでした。受験者
数は三人と、昨日のK大と違うのは、私立の所為かもしれません。
そして試験は一日で終わり、やはり英語、小論文、面接でした。定員は若干名という事でした。二
校の試験を終え、最初にK大の発表がありました。私は、駄目元で受験したはずなのに、意外に試
験がよく出来たと、自分で思っていたので、少々期待してしまっていたのでした。

K大の門をくぐる時、一緒に受験した、超ミニスカートの茶髪でロン毛の煙草を吹かしていた、お
姉さんと一緒になりました。
小さな紙が貼り出されていて、静かに掲示板に背を向けて、門の方へ向かう人が目に入りました。
携帯電話で「合格してたー」と言っている人もいて、私は、その声を聞きながら、私の番号を探し
たのでした。
結果は、不合格でした。
茶髪でロン毛のお姉さんと一瞬顔を見合わせて、二人でにっこりと笑って、二人並んで何も喋らな
いで、また一緒にK大の門を出たのでした。

そして、その次の日は、学舎がすてきなK女学院の入試に挑みました。そこでの受験生は四人だっ
たのですが、何と、K大の受験で一緒だった人と、M女子大で一緒だった人がいたのでした。世間
って、狭いなと思いました。
そこでの面接も、意地悪く「どうして、我が校の公開講座も受講された事もないのに、入学を希望
されるのですか?」と聞かれ、前日のK大の不合格がショックで、うまく答えられなくて、面接の
途中で「ここは駄目だ・・・」と、思ってしまったのでした。

 結局、K女学院はもちろん、M女子大も不合格で、私は何だか自分がとても駄目な人間だと認め
られてしまったような気になってしまい、しんどくなってしまいました。
それでも、次っと思い、次はS女子大を受験したのでした。S女子大の面接の時、私は自分でもび
っくりする程、よく喋ったのでした。

そして、試験管の先生は、お二人だったのですが「そうですね。その通りですね」と、相槌を打ち
ながら聞いて下さったのでした。
試験が終わって、外に出た時、師走の冷たい風が吹いていたのですが、なぜかホッとして暖かい気
分になっていたのでした。それから一週間後、X`masになって、郵便屋さんが、S女子大の合格通
知を配達してくれ、私は、四校目にして合格通知を手にしたのでした。


『感想』                               

                                     いるかのざっきー 


大変、良く書けた文章です。
過去の自分を振り返って、あの時、こうしとけばよかったという想いを見つめ、それを見事、社会
人入試という難関を突破することで叶えたというのが素晴らしいと思いました。
そういうことを思うことはあっても、なかなか実現するところまでは至らないのですが、カナリヤ
さんの場合、障害を乗り越えて、それを実現したことが素敵だと思います。

僕はこれを読んでいて、大学時代のことを思い出しました。
卒業論文で書いた『経済人類学と文明』なんて論文を引っ張り出してきて、また、勉強したいなと
思ったりしました。

思うことも大事だけれど、実行することがどれだけ難しいか、僕にとってそれが今の課題だと痛感
させられました。
何か勇気づけられる文章でした。
勉強したいと言うことを、夢ではなくて、実行できるようになりたいです。
それは些細なことであるように見えて、実はとても重要なことに僕には思えます。



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