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▼ 第23回投稿作品 ▼




蒼鬼龍一奇譚 「死人使いに手向けの花を」
       

「はいあなた。これ」
  目の前の女性が一通の定型封筒を差し出す。肌の色は雪のように白く、瞳は血のように赤い。
 これで蒼い短髪なら、社会現象にまでなった某アニメのヒロインがだ、彼女の髪は黝く腰まである。
 すらっとした長身で、美人というよりはハンサムといった印象が強い。
 名前は十七夜和美。1999年に東京を襲った未曾有の大惨事で共に闘い、生き延びた同志であり、
 妻であり、マネージャでもある。
「なんだ?」
 とりあえず差出人を見る。張美花。中国人だな?どこかで聞いたようだが、顔が浮かんでこない……
 とりあえずペーパーナイフで丁寧に封を切る。
「角一。今日中に会いたい。携帯に連絡してください。張美花」
 角一か。あ、言っておくが、角一は俺の名前ではない。俺には蒼鬼龍一という名前がある。
 では角一とはなにか?これは、知り合いからの最優先で断れない仕事依頼のときの暗号だ。
 ちなみに由来はつのつの一本、青鬼どん♪という童謡の一節から来ている。
「それにしても、今日中っていうのはなんだよ?」
 改めて封筒の表面を見る。なるほど、封筒だから郵便物というのは先入観だな……
 封筒に貼ってある切手だと思ったのはプリントクラブのシールだった。
「和美。コーヒーを頼む」
「カフェオレでいい?」
「ああ。頭に栄養を送りたいから、砂糖は多めに」
「はいはい」
 和美はペタペタという足音を立ててキッチンに向う。
「さてと」
 机に置いてある携帯を取ると手紙に書いてある番号を押す。
『はい』
 ワンコールで女性が出た。
「ニーハオ。マイネームイズ、リュウイチ、ソウキ」
 中国語で挨拶しておきながら、以後は英語というのは間抜けだが、知らないのだから仕方がない。
『ふふふ。無理しなくても、私、日本語が話せます』
 電話の向こうで女性は笑う。
「あなた、ちょう、みかさん?」
『メイファです。チャン、メイファ。推察の通り中国は香港の人間です』
 お見通しって、まあ、ニーハオと挨拶してるのだから指摘されて当然か。
「会って話しがしたいと。場所はこちらが決められるのかな?」
『都内23区内であれば』
「じゃあ、俺の部屋でいいかな?どうせ下まで車で来ているのだろ?」
『判りました。では、すぐにお伺いします。ちなみにプリクラの人物が私です』
「では後ほど」
 携帯電話を切り、封筒のプリクラを見る。
 そこには、結い上げられた漆黒の髪に挑戦的な大きなライトブラウンの瞳が印象的な、
 チャイナ服の美女がとても小さな眼鏡を右手で押し上げている姿が写っていた。
「キツそうな性格してそうだな」
   それがプリクラを見た美花さんの第一印象だった。
 ピンポーン。
「はいはい」
 チャイムに応対するように、誰に言い聞かせている訳でもないのに自然と声が出る。
『張です』
 防犯カメラ越しにプリクラの女性がニッコリと微笑みかける。
「開けます。何人ですか?」
『何人、ですか?』
「このマンションのシステムは人数も感知するんですよ」
 マンションの防犯システムを説明する。
『なるほど。なら、私を含めて二人です』
 美花さんはちらりと後を見てから答える。
「了解です」
 人数を入力してから、開鍵ボタンを押す。
「和美。お客が二人来た。コーヒーはそのつもりで応接室に持ってきてくれ」
「わかった」
 キッチンから元気のいい返事が返ってくる。
「さて」
 滅多につかわない応接室のドアを開け、電灯のスイッチを入れた。

「はじめまして」
「こちらこそ」
 美花さんの差し出した右手を握り返すと、席を勧める。
 美花さんは着ていたコートを背後で岩のように立つボディーガードに渡すと、ソファーに腰掛ける。
 深紅色のスリットが深く袖のないチャイナ姿は、煩悩を大いに刺激する。
「いきなりで申し訳ないが、角一は誰から聞いた?」
「福岡でお会いした、サムソン=トーマスというイギリスの方に紹介していただきました」
 相変わらず美花さんは笑顔を絶やさない。
「彼が今回の依頼に私が適材であると判断し、推薦したのなら断れないな。で、用件とは?」
 サイフォンのコーヒーをカップに注ぎ美花さんに差し出す。
「実は」
 美花さんが指を鳴らすと、背後のボディーガードが持っていたアタッシュケースを机の上に置く。
「これは、何かの札だな。手にとってもいいのか?」
 美花さんが頷くの見て、アタッシュケースの中にある古びた紙を手に取る。
「時代は判らないが、かなり古いものだな?」
「話が一族の言い伝えによると後漢末期のものです」
 後漢末期ということは、今から1750年ぐらい前。時代は三国志の頃のものか。
「これが何かお尋ねにはならないのですか?」
「尋ねたら教えてくれるのか?」
 美花さんの問いに逆に聞き返す。
「……蒼鬼さんはキョンシーってご存知ですか?」
「確か、中国の民間習俗に、魂と魄との組み合わせで人間を4つに分類するというのがあって、
 魂も魄もあるのが生きた人間、魂も魄もないのが死んだ人、魂はあるが魄はないのが鬼で、
 魂がなくて魄があるのがキョンシーだったかな?」
「よくご存知で」
 美花さんは感心したように目を丸くする。
「いや、その辺に無茶苦茶精通している人がいて、その人の受け売りなんだが」
 思わずネタばらしをする。
「キョンシーは、感情に動かされず親兄弟の見分けも付かない。人とみれば噛付く動く屍です。
 しかし肉体的機能は極めて優れていて、堅くこわばった肢体は驚異的な力を発揮します」
「それは映画の中の話であって、現実には…」
 美花さんは右手で俺の指摘を制する。
「話が脇に逸れます」
「失礼」
 指摘されたことは正しいので素直に謝る。
「眉唾と思われるかもしれませんが、その札はキョンシーを自由に操る為の魔道の道具なのです」
 眉唾というわりに美花さんの目は真剣だ。
「で、この札をどうしろと?」
「明日の午前零時から同日の日の出まで守ってください」
 美花さんは仕事の依頼の内容を切り出す。
「守る?どういうことだ?」
「この札を奪おうとする連中がいるのです」
「ほお。では、なぜそんな大切なものを部外者である俺に守らせる?」
「守る札は全部で四枚あり、使える身内は既に任務に就いています」
 美花さんは何気に面白い情報を曝してくれる。
「ま、伏せておきたい手札もあるだろう……で、報酬は?」
 美花さんに向って意味ありげに笑って見せる。
「必要な物品は今日の日の入りまでに揃えさせます。それから報酬は400万」
 古びた札を四分の一日守るだけなのに、中々に太っ腹な額である。
「万が一だが、失敗したときはどうなるんだ?」
「失敗した場合は、間違いなく死んでますから心配無用です。そうならないことを望みますが…」
 前言撤回。俺の命の価値は400万か。
「それと、札を持って海外に高飛びというのは止めてください」
「なぜだ?」
「それができるなら、とっくに飛行機をチャーターして空を飛ぶ準備をしてます」
 美花さんはニッコリ笑って答える。ま、理屈だな。
「車はいいのか?」
「都内であれば」
「なるほど…重要なのは東京という地が持つ魔道の力か」
「前年の騒乱で威力がかなり衰えたとはいえ、この地の六芒星は強力な封印を形成しています」
 東京が、江戸城を中心に有数の神社仏閣で巨大な六芒星の魔方陣を描いているのは有名な話だ。
 ということは、この札には額面以外になにかがあるということだな。
「ところで先方は時間を守ってくれるのか?」
「先方?ああ、それは問題ありません。先方は満月が中空に来なければ動けませんから」
 う〜む。なんとなく嫌な予感がしてきた。
「なあ、その先方って、世の中の常識とか通用するのか?」
 心配になって聞いてみる。
「さあ、実はわたし達も口伝や文献でしか先方を知らないんですよ」
「口伝、文献?やけに古い言い回しだが…」
「ええ、前回のこの札を巡る争いは400年も前の話なもので」
 これまたスケールの大きな話になってきたな……

「お待たせしました。ご注文の車です」
 美花さんが漆黒のパジェロから降りてきた。羽織っただけのコートから見える生足が色っぽい。
「これはこれは秘密結社九龍の大幹部さま自らありがとうございます」
 あれからすぐに仕入れた情報を元に皮肉を込める。
 揺りかごから墓場。自販機荒らしから要人暗殺まで、それが九龍の裏と表の風評である。
「サムさんに聞かれたのですか?」
「その通りだ。履歴書程度のものだがね」
 苦笑いしながら、持っていた紙包みを美花さんに渡す。
「わぁい。ミスドのフレンチクルーラだ」
 袋の中身を確認した美花さんは少女のような微笑を浮かべる。
「ところで、無事任務を遂行した場合、預かり物の引渡しはどうするんだ?」
「あなふぁのひむしょで」
 口いっぱいにドーナツを頬張ってしゃべろうとする美花さんを一旦制する。
「全部食べてからでいいです…」
「そうひまふ」
 それから美花さんは都合六個のドーナツを見る間に食べ尽くしてしまう。
「明日の正午にあなたの事務所で報酬と引き換えというのはどうでしょうか?」
「了解だ」
 これといって否定することはないので、美花さんの提案にあっさりと同意する。
「再見」
「ああ」
 美花さんがお付きの車に乗り込むのを見送ると、パジェロに乗り込む。
「さてと、もうひとつの謎を解きに行くか」
 一発気合を入れると、パジェロのエンジンを吹かした。

「あ、蒼鬼さん。お疲れ様です」
 木場道場と書かれた看板の横で、門番をしていた新入り門下生がペコリと頭を下げる。
「ああ、お疲れ」
 軽く手を上げて挨拶すると敷地内に足を踏み入れる。
「あら?今時分に珍しいわね」
 合気道の胴着に身を包んだ和美が数人の武装した男女を従えてやってくる。
 ちなみに、木場道場は合気道の道場ではない。実戦的格闘技を教える剛武会の一派だ。
 もっとも、実際には、あらゆる武道の体得者が切磋琢磨する寄り合い所といったほうが正しい。
「これから夜回りか。ご苦労さん。ところで師匠は?」
「師匠?さっきまで道場で挑戦者をあしらっていたから、まだ道場だと思うけど」
「サンキュー」
 軽く和美の頬にキスをすると、和美の背後で黄色い歓声が上がる。
 自分としても無茶苦茶気恥ずかしいのだが、この道場ではこれぐらいのアピールをしておかないと、
人の嫁さんだろうがなんだろうが平気でナンパする連中が多いのだ。
「じゃあ」
「ほいよ」
 和美を見送った後、そそくさと闘技場に向う。
「おりゃあぁ〜あ」
 闘技場に足を踏み入れた途端、気合のこもった雄叫びとともに巨大な物体が飛んでくる。
「おっと」
 わずかに構えて、飛んできた物体をガッチリと受け止める。飛んできたのは人間だった。
「こりゃ龍一!そのまま外に放り出さんか」
 角刈りに立派な髭を蓄えた小柄な老人が、圧倒的な威圧感をもって歩み寄ってくる。
 この老人が、木場道場の現館長。木場柔兵衛その人である。
「打ち所悪かったら死にますよ」
「はん。出歯亀に人権なぞないわ」
「あ、出歯亀なんですか」
 そそくさと逃げだそうと背中を見せる出歯亀の脳天めがけて踵を落とす。
「こんなもので?」
「まあ、ええじゃろ。それよりなにか用か?」
「見ていただきたいものが」
「先に書斎に行っとけ。儂はあと二人を相手にするが、十分もかからんじゃろう」
 カラカラと笑いながら柔兵衛師匠は闘技場の真ん中に戻っていった。
 十分か…ま、それぐらいは待つか…

「で、見せたいものとは?」
 柔兵衛師匠は、湯呑みに美少年という銘柄の日本酒を並々と注ぎながらこちらを見る。
「これです」
 懐より美花さんから預かった札を取り出すと、柔兵衛師匠の前に差し出す。
「中国の呪い札だな…何かを封印するときに使うようなヤツだが?」
「間違いありませんか?」
「大陸の霊廟で同じようなものを見たことがある。まず間違い無い」
 柔兵衛師匠は湯呑みの酒をグイっと煽る。
「封印の札ですか…クライアントからはキョンシーを操ることの出来る札だと聞いたのですが…」
「キョンシーをか?ということは、儂への用件とはキョンシーと闘うときの心得か?」
 柔兵衛師匠は札を手に取ってしげしげと眺める。
「はい。確か師匠は、過去にキョンシーと闘った経験があると聞いております」
「眉唾とは思わんかったのか?」
 柔兵衛師匠は左の眉毛をピクンと跳ね上げる。
「女の話ならともかく闘いの話で法螺は吹きませんから」
「女の話ならはよけいじゃ!」
 柔兵衛師匠はポンと膝を叩くとカンカラと大声で笑う。
「よいか龍一。キョンシーを相手にするときはな。殺すのではなく破壊しろ」
 柔兵衛師匠はふいに真面目な顔つきになる。
「破壊ですか?」
「そうよ。相手は死者だ。効率良く相手が即死するような攻撃は意味が無い」
「間接や支えとなる部分を瞬時に破壊しなければならないということですね?」
「そうだ。四肢を根元からへし折るぐらいのことをせんとな」
「そこまでやらないとダメですか…」
 思わず苦笑いをしてしまう。
「念のため真神にいうて、夜魔刀を借りて行くがいい。あれなら、少しは役に立つじゃろ」
「ありがたく借り受けていきます」
「うむ」
 柔兵衛師匠は再び湯呑みを煽るのを見て、深々と頭を下げてから部屋を退室した。

 ピッピッピッピッポ〜ン
 車内に電子音が鳴り響く。
「23時59分。日の出まであと6時間21分か…」
 車内時計に視線を送り、時刻を確認する。
「さて、鬼がでるか蛇がでるが…」
 左のバックミラーに湯気のような僅かな揺らぎがあるのを認識する。
「出たのは鬼か…」
 助手席に置いてある日本刀を掴み、車のドアを開ける。
 鬼といっても、日本風に言えば幽鬼とか幽霊の類である。車で逃げるのは意味がない。
「ひゃはははははは」
 鬼は笑いながらゆっくりとその姿を具現化させる。数は全部で4つ。
 服装、風貌からして、生前は凶悪と言われた暴力集団『怒黒姫』の構成員だな。
 そういえばこのあたりは、怒黒姫と警察機動隊との間で凄惨な殺戮劇があった場所。
 ということは成仏しない魂には不自由しないということか…
「迷わず地獄へ落ちるがよい。うむ。こういうときにバッチリな台詞だ」
 ゆっくりと日本刀を抜く。長さ6尺2寸。刀身は黒く鈍い光を放つ。
「俺はむむむむ無敵だぁ〜」
 鬼が耳障りな声を叫びながら一斉に突っ込んでくる。
「正面!」
 見据えたまま一歩踏みこみ、目の前の鬼を袈裟斬りにする。
「はっ、効かんなぁ」
 ケラケラ笑う鬼の体が、斬られたところをなぞるようにゆっくりと広がっていく。
「この夜魔刀に斬れぬ亡者なし」
 斬られた鬼が風に溶けるように散霧する。
「ぎっぎょ」
 状況を察知した鬼達が一斉に包囲の輪を乱す。
「逃がすか!」
 一番近くにいた鬼の胴を背後から水平に薙ぐ。
「はぁあああ」
 踏ん張って体の向きを変え目の高さで刀を構えなおすと、刺突で三体目を後頭部から串刺しにする。
「逃がすか」
 そして走りながら刀を大上段に構え、最後の一体を脳天から唐竹割りにする。
 鬼は断末魔の悲鳴を上げることなく風に溶けて消えていく。
「第一陣はなんとか退けたか…だが、鬼だけというのは…」
 気配を殺して辺りを伺う。どうやら周囲に敵意のあるものはない。
 しかし妙だな。派手に宣戦布告したわりに後が続かないというのは…
 刀を鞘に戻して車に戻り、車のエンジンキーを回す。
「ん?」
 エンジンは空回りするだけでちっとも咆哮をあげない。
「なんだ?」
 もう一度キーを回すが、やはりエンジンはウンともスンとも言わない。
 故障か。偶然にしては出来過ぎだな…仕込んだとしたら先程の戦闘の最中か?
「よっ」
 ボンネットを開け、エンジンルームを覗きこむ。見た限りでは異常はない。
 となるとあれか?グレムリンか?
 一度車の中に戻って携帯電話を取り出し短縮ボタンを押す。
 しかしスピーカーからはザーという雑音が響いてくるだけでコール音すらしない。
「持久戦か…」
 携帯電話を胸ポケットに戻し、車のドアを開け放つ。
 長い夜がはじまった。

 ピッピッピッピッポ〜ン
 車内に電子音が鳴り響く。
「4時59分か…最初に襲撃したきり、ここまで引っ張るとはイイ度胸だ」
 何度目かの生欠伸をかみ殺し、小さく伸びをする。
 時間的にそろそろ仕掛けてこなければ…
「くっくっくっ」
 不意に闇の向こうから笑い声が聞こえてくる。嫌悪感を抱かせるいやらしい声。
「真打か?」
 問いかけつつ刀に手をかける。
「待たせましたか?」
「ああ、最初に使いを遣したきりだからな」
「それは失礼しました。何分にも野暮用を済ませるのに時間がかかりまして」
「まあいい。それよりそろそろ姿を見せたらどうだ?」
「これまた失礼。くっくっくっ」
 いやらしい笑い声と共に闇の中に顔が浮び上がる。
 炎のような形に逆立った真っ白な髪に筋の通った鼻。残忍な微笑を貼りつけた薄い唇。
 吊りあがった糸のように吊りあがった目には小さく真ん丸な眼鏡をかけている。
「自己紹介がまだでしたね」
「いえいえ構いませんよ大賢良師殿」
 大賢良師とは、中国後漢末期に黄巾党の起こした乱を指揮した鉅鹿の張角のことである。
 しかしこの一言は男の顔をすかしたキザっぽい顔から鬼気迫る形相に変えた。
「き、貴様なぜその事を」
「当たったのか?時代的に合うからカマをかけたんだが」
 声を震わせる張角に、クリティカルな一言を言い放つ。
 張角はダメージを受けてるようだ。
 自我がしっかりしている鬼は精神攻撃が良く効くという眉唾な話だが試してみてよかった。
「悪いが速攻で決めさせてもらう!」
 夜魔刀を素早く引き抜くと袈裟切りに張角を斬る。
「痛っ。なに?」
 刀を握っていた手にしっかりとした手応えと鈍い痛みが走り、思わず刀から手を離してしまう。
 霊魂だとおもっていた張角の体は血肉を備えた実体だったのだ。
 刀で肉塊を絶つためには、肉塊に対しきちんと刃筋を通す必要がある。
 刃筋を通さず無造作に斬りつけたので、予想外の衝撃が手に伝わり、刀を離してしまったのだ。
「くっくっくっ。あの程度のことで動揺するとおもったのですか?」
 張角は肩口に深々と刺さった夜魔刀を引っこ抜くと後方に放り投げる。
 動揺していたはずの口調は元のキザったらしいものに戻っていた。
「鬼だと思ったが、キョンシーだったとはな…」
「あなたが鬼を魂を物理的に斬る妖刀をもっているのは判っていましたから。策を弄しました」
 張角は眼鏡をついと押し上げる。うわぁ〜腹立つなぁ!
「刀なんか無くたってなぁ〜」
 間合いを詰めて、張角の右脇腹めがけて右のストレートを叩きこむ。
「効きませんよ。そんな腰の入っていないパンチ」
 張角は無造作に右腕を振り上げると、物凄い勢いで振り抜く。
「くぅ」
 辛うじて左腕でガードするが、木槌で殴られたような衝撃とともに吹っ飛ばされる。
「最近の人間はひ弱ですね」
 張角は俺の胸座を掴むと、胸の高さまで持ち上げてそのまま力任せにパジェロに叩きつける。
 バゴンという鈍い音とともにパジェロのボンネットが人型に凹む。
「ぐはっ」
 強烈な衝撃と同時に胸元から込みあがってくるものを吐き出す。
 それは鮮やかな色の鮮血の固まりだ。どうやら衝撃で肋骨が折れ、肺を傷つけたようだ。
「くっくっくっ。四つに分けられ封印された我が魂が、1800年の時を経ていま再びひとつになる」
 張角は勝利を確信した歩調で一歩一歩と近づいてくる。
「はっ」
 大声を上げて気合を入れ、大きく後方に跳びずさる。
「なるほど。この札はそういう札か…」
 懐から預かった札を取り出すと、張角の前でヒラヒラと振ってみせる。
「まだ動けるとは。戦闘用キョンシーに適した素材のようですね」
 張角は動揺した様子も、歩調も変えることなく間合いを詰める。
 ということは、この札を質に動きを封じることはできないということか…まてよ?
「まだだ。まだやらせんよ!」
 再び間合いを詰め張角の懐に飛び込む。
「はぁあぁぁぁぁ〜」
息吹くのと同時に張角の足首めがけて八極拳でいうところの震脚を落とす。
「橘流舞踏。愚者を刈る神の鎌(改)」
メシャ。
鈍い音ととも踏み抜いた張角の足元がすり鉢状に陥没する。
「効かないといったでしょう?」
 張角は再び手を振り上げて力任せに殴ろうとするが、無様にバランスを崩して踏鞴を踏む。
「痛覚のない肉塊だから片足が破壊されたことに気付かず、そういうヘマをするんだよ」
 張角の脇を巧みにくぐり抜け、夜魔刀が放り投げられた方向に全力で走る。
「道具に頼ったところで勝てると思うのですか!」
 張角は咆哮するが、明らかに焦りの色が見える。
「あった!」
 無造作に転がってる夜魔刀を見つけて拾い上げるとしっかり握り締める。
「やめろ〜」
 張角は悲鳴にも似た絶叫をあげる。ということはやはり!
「繊月流古武術奥義龍牙」
 持っていた札を放り投げ、もっていた夜魔刀で突き刺す。
 龍牙は俺が体得している繊月流古武術の剣技の刺突技の奥義だ。
「ぎぃがぁあああああああ」
 絶叫が大気を震わせ、同時に張角の身体は砂のようになって崩れ、服だけが残る。
「賭けは勝ったか…」
 夜魔刀から札を抜き取り、刀は鞘に収める。
「しかし、肉体が砂になって崩れるとはね。まるで吸血鬼だ…」
 地面に落ちた服を拾い上げ、ニ、三度大きく振ると、三枚の札がヒラヒラと落ちてくる。
「さて」
 落ちた札を拾い、札の正体を確認する。美花さんから預かった札に似た古びた札である。
 これで成功報酬が分捕れる…残った二枚も回収し、パジェロに戻る。
「もう動くだろ?」
 エンジンキーを回すと、パジェロのエンジンは何事も無かったかのように吠えた。

「ご苦労様ね」
 たった一人で事務所にやってきた美花さんは、テーブルの上にジェラルミンケースを置くと、
優雅な仕草でソファーに腰をおろして足を組む。
 相変わらずチャイナドレスなので、ムチムチの太股があらわになってなんともいい眺めだ。
「成功したか失敗したか聞かないんだな…」
「失敗したら死んでいると、言いませんでしたか?」
「そうだっけ?」
 わざとらしく肩を竦め、懐から預かった札を差し出す。
「これは…札が破れているね」
 札にある刀で開けた穴を見て、美花さんの顔色が変わる。
 札が破れるということがどういうことなのか知ってるって顔だな。
「日の出まで守ってください。それが依頼だったよな?」
「…はい」
 美花さんは動揺を見せないように務めて冷静に答える。
 だが、動揺することは解っていたので、彼女の心情は手に取るように解る。
「札が破れたの見て動揺したってことは、札は破れたら効力が消えるって事を知っていた…
真相はある程度掴んでいるんだが、アンタの口から聞きたいな…」
「……」
「ふん。まあいい。これを見てなお、ダンマリが通せるかな?」
 美花さんの目の前に、あの時に拾った三枚の札を差し出す。なんだかやっていることが悪党か
警察官だな・・・
「こ、これは!」
 美花さんは驚きの声をあげる。いいね。こういう顔が見たかったんだ。
「後漢末期、黄巾の乱を指揮した大賢良師こと張角は、キョンシーを操るということは、 魂の無
いキョンシーに札という受信機を通して、術者の魂の波動を送って操作するのだという
キョンシー操作理論の根幹を解明し、とある画期的な方法を開発した」
 四枚の札をきれいに並べて、一息置く。
「まず、札に残留思念を封じることで、術者がいなくてもキョンシーを自在に操作するという方法を、
そして人の魂を分割して札に封入することで、複数の同じ思考のできるキョンシーを作り出す方法
を編み出した。ちなみに、前者は複雑な命令しか実行できないが、後者はオリジナルと寸分
違わぬ思考ができるのがウリだな」
「くだらない与太話をこれ以上聞かないと…」
 相変わらず引き攣った顔で、美花さんは否定する。
「まだ説明は終わってない、チャチャは最後にしてもらえないか?」
「う、わ、解ったね」
 美花さんはシュンとなる。
「黄巾党と言っても、大半は農民を扇動しての素人軍。指揮官の質の悪さは如何ともし難かった。
そこで張角は、自らの魂を蒼龍、玄武、白虎、朱雀の四枚の札に封入して自分の擬似クローンを造り、
指揮を取らせる。千里を走り変幻自在の指揮をとる妖術師張角の出来上がりだ」
「……」
 美花さんは顔を引き攣らせる。
「なあ…そろそろご先祖さまの魂を解放してやってはどうだ?」
「な、なんで張角がご先祖だってことまでしってるか!」
 美花さんは机を叩いて立ち上がる。
「夜魔刀が、青龍に封じられていた魂を解放したときに、すべて教えてくれたよ。
そして、君達の一族がやっていることが無意味だってことも…」
「無意味?」
「そう。君のご先祖である張角は、この世への復活を望んでいた訳じゃない。自らの魂の解放を
したかったんだ」
「そ、そんな…」
 美花さんはガックリと膝を落とす。
「じゃあ…」
 脇に置いてあった夜魔刀を取り出し、美花さんに渡す。
「……これは?」
「これが夜魔刀。ご先祖様の魂の解放は、君の役目だろ?」
 美花さんは小さく頷き、差し出された夜魔刀を受け取ると、刀を鞘から抜く。
「夜魔刀でそのまま札を貫けばいい」
 美花さんは札を一箇所に集めると、夜魔刀を垂直に振り上げる。
「別了」
 母国語である中国語で永遠の別れを告げると、美花さんは夜魔刀を振り下ろした。
『おおおおおおおおぉ』
 ぐもったような、歓喜のような声とともに、天井へ、天に光の柱が立ち昇る。
 かなり派手な霊現象である。恐らくここにいる二人と、たまたま外を通りかかった霊感の強い人と
純真無垢な魂の人なら目にできただろう。
「終わったな…」
「………」
 美花さんは黙って頷く。
「で、俗な話に戻るが、成功報酬はもらえるのか?」
「…いいでしょう。札はこうして四枚とも我が一族の手に戻ったのですから」
 おそらく美花さんも、魂を解放した際に札に宿っていた先祖の御霊の声を聞いたのだろう。
 すっきりした顔つきで、ジェラルミンケースを開く。
「報酬の400万USAドルです」
「うっ、た、確かに…」
 なるべく動揺しているのを見透かされないようにしてジュラルミンケースの蓋をする。
 1999年に東京を襲った未曾有の大惨事以後、ドルの対円価格は1ドル=200円前後で取引。
つまり日本円にして八億円だ。
「お札の確認しないんですか?」
 美花さんは不思議そうな顔をする。
「信用第一なのは、美花さんの世界でも同じでしょ?」
「気に入ったね。これからこの手の仕事は、優先的に頼むからよろしくね」
 美花さんは極自然に顔に手を添えると、右の頬に軽くキスをする。
「な、な、な、な、なにを」
「再会」
 美花さんは笑いながら部屋を出て行く。
「また会いましょう…か」
 美花さんの唇の感触の残る頬を触る。
「よかったわね〜」
 背後から、やや怒気を孕んだ和美の声が聞こえてくる。
「あ、いや、それより、あの…ごめんなさい」
 和美の圧倒的なプレッシャーに素直に謝る。
「わかればよろしい。じゃあ、臨時収入もあったことだし、昨夜の仕事の話も聞きたいし、
仕事の成功を祝ってこれから横浜に何か食べに行きますか」
 和美はニッコリ笑う。
「はい。判りました」
 本当はこれからひと寝入りしたかったのでが、気まずいシーンを見られたばかりなので、
反論ができない。
「じゃあ着替えてくるから」
 和美は実に嬉しそうに鼻歌を歌いながら部屋へと消えて行く。
 しばらくしてから、和美は完全武装、じゃない正装した姿で現れた。
「出発!」
 それが張角との戦いより苦しくなるとは…このとき予想だにしなかった。
追記
 本格的高級中華料理フルコースは腰が抜けるほど高かった……

        終わり




2000 10.6 
URL: http://www.d1.dion.ne.jp/~nadano/
e-mail:nadano@d1.dion.ne.jp



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