少女格闘伝説1

 






第一話『異形の少女1』   坂崎文明






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 神沢勇(かみさわゆう)はシューズのひもを何度も結び直し
ていた。
 いつもの彼女ならそんなことはしない。
 今日は特別な試合を控えていた。
 だからといって、動揺しているわけでもなかった。
 長い間ーーーといってもたったの1年ほどだがーーー、付き
人をやっている風森怜(かざもりれい)にはよく分かっていた。
 逆なのだ。
 神沢勇がそんなことを繰り返す時は、いつも決まって、集中
力を極限まで高めている時なのだ。
 風森怜は時計を見ながら、そろそろ第一試合が終わる頃だと
考えていた。
 新興女子プロレス団体であるエンジェル・プロレス(APW)
では、試合の合い間にアイドル歌手のミニ・コンサートを織り
まぜるなど何かと芸能色の強い演出がなされていた。
 有名芸能プロダクションが母体となって設立された団体だっ
たから、そのような新機軸を打ち出したのだろう。
 本格路線をあゆんでいる業界最大手の老舗団体、ジャパンレ
ディスプロレス(JLP)とは対称的であった。
「秋月玲奈(あきづきれな)のステージが始まりますね。神沢
先輩は知り合いなんでしよう?」
 ストレッチをしながら、神沢勇は静かに答えた。
「昔ね。中学校で同級生だったの。でも、すぐに転校しちゃっ
たわ」
 素気ない言葉が返ってきた。
 風森怜は知らなかったが秋月玲奈は勇にとって心の友であり、
同時に父であるプロレスラー神沢勇吾(かみさわゆうご)を引
退に追い込んだ張本人でもあった。
 九州、秋月流柔術の宗家に生まれた玲奈は、歌手になるのが
夢だとよく勇に語っていた。
 父との闘いの中で、神沢勇の窮地を救ったのが玲奈だった。
その闘いの結末は、神沢勇吾のプロレスラー引退という悲劇で
幕を閉じてしまった。
 が、それでもなお、玲奈のことを考えるといつも勇の心は熱
くなった。
 友達というのはいいものだと、つくづく思う。そして、夢を
かなえられて良かったね、と勇は心の底から言ってやりたかっ
た。
「それにしても、今日の勇先輩の相手は誰なんでしょうね?い
くら仕掛けだと言っても当日になっても知らせないなんて、や
りすぎだと思います。」
 風森怜は、神沢勇の足をほぐしながらそんなことを言った。
「フロントのやることにいちいち文句つけてたらきりがないで
しょう。あなたが気にすることじゃないわよ。」
 神沢勇は怜を諭すような言い方をした。
「勇先輩がいいっていうんなら、もう文句はいいませんけど。
でも、勇先輩は会社のやり方というか、評価の仕方がおかしい
と思ったことはないんですか?」
 神沢勇は珍しく躊躇した。
 確かに、芸能色の強いこの会社では、神沢勇の地味な試合は
あまり良い評価を受けてはいなかった。
 実力的にはセミファイナルの試合を任されてもおかしくはな
かった。だが、実際は前座の第三試合が彼女の定位置になりつ
つあった。
「………選手の評価とか試合のカードはフロントが決めること
よ。私たち選手は一生懸命、いい試合をやることだけ考えてい
ればいいのよ。怜は気にしすぎよ」
 風森怜は、なおも不満げな表情でくいさがってきた。
「だけど、私、悔しいんです。勇先輩がどんなにすごいプロレ
スラーか知ってるから。今メイン張っているレスラーなんてみ
んな見かけだけだし、実力は勇先輩の方が完全に勝っているの
に、なんかそれっておかしいと思うんです………」
 神沢勇にしても、怜の言うことは分からなくもなかった。
 が、本当の原因が自分自身の心の中にある、こだわりのせい
だということもよく心得ていた。
 それはプロテストの時のことだった。
 不世出の天才プロレスラー神沢勇吾は、謎の引退後も名トレ
ーナーとしてプロレスに関っていた。
 その彼の娘がデビューする、というのだからその将来性と実
力が注目されても不思議はなかった。
 そして、そんな中で思わぬアクシデントが起こった。
 威力のある彼女の技に、対戦相手が耐えられず、その相手に
再起不能のケガを負わせてしまったのだ。
 それ以来、七色のスープレックスを駆使した華麗で、破壊力
抜群の彼女のファイトスタイルは姿を消した。後には、抜け殻
のように安全な技しか使えぬ、平凡な女子プロレスラーがいる
だけだった。
 いまだに、その時の恐怖が彼女の心を呪縛していた。
「怜、あなたが私のことを心配してくれるのはうれしいわ。で
もね、あなたは自分のことだけ考えていればいいのよ」
 神沢勇は怜をたしなめるように言った。
「はいはい、わかりました。がんばります」
 怜は少しすねたように、マッサージしていた手に急に力を込
めた。
 しかし、神沢勇は涼しい顔をしている。
「………ねえ、第二試合、あなた、セコンドにつくんじゃなか
ったの?」
  急に思い出したように、神沢勇は言った。
「いけない!忘れてた。早く行かないと試合が始まっちゃうわ。
あ、それから、先輩もがんばってくださいね……」
 そう言い終わらないうちに、風森怜はあわてて、転がるよう
に控室から出ていった。
「まったく、あの子は……」
 怜の後ろ姿が消えた扉を眺めながら、神沢勇はひとり呟いて
いた。






 秋月玲奈はその華やかなステージを終えてから控え室で着替
えをしていた。
 第三試合の後に二度目のステージが予定されていたからだ。
 控え室には彼女ひとりしかいなかった。
 鏡の中に写るわずかに上気した顔は、たしかに美少女アイド
ル秋月玲奈のものだった。
 それが彼女の虚像のひとつだということもよく分っていた。
 もう三年もの間、彼女の夢であった歌手としての人生を共に
過ごしてきた、お馴染みの顔だった。
ーーーーーもう、いいんじゃないの?
 鏡の中の少女が彼女に語りかけた。
ーーーーー私、しあわせよ。
 玲奈はそう答えていた。
ーーーーーだけど、今のままで本当にしあわせなの? ほんとう
に満足してる?
 どうやら、その声は玲奈の内なる声を代弁しているようであ
った。
ーーーーーどうして?私は今のままで十分しあわせよ。
ーーーーーだけど、ときどき、悲しそうな目をすることがある
わ。
 玲奈はわずかに笑ったようだった。
ーーーーーそうかしら?
ーーーーーそうよ。特に、あの子のこと見ている時はいつもそ
うよ。
 玲奈もそのことはうすうす感づいていた。
ーーーーーそんなに悲しい顔しているかしら?
ーーーーーちょっとね。
 鏡の中の少女は玲奈を思いやるように呟いた。
 それきり、少女はものを言わなくなった。
 後には化粧の落ちかけたアイドル歌手の顔がこちらを見てい
るだけだった。 









                     <つづく>

                     
                     1999.1.24





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