少女格闘伝説2

 




『帰ってきた少女3』








 神沢恭子は思い出していた。
 三年前の勇と楓のプロテストの記憶は、今でも昨日のこ
とのように鮮明に思い出せた。
 勇が放った、ジャーマンスープレックスという投げ技に
よって、楓の肩が壊されてしまった瞬間は決して恭子の脳
裏から離れなかった。
 骨の砕ける嫌な音を、恭子は何度も悪夢の中で聞いてう
なされ、夜中にいつも目覚めていた。そして、恭子はその
度に、自分自身の現役時代の首の大怪我について思い出す
こととなった。
 あれは確か試合中の事故だった。
 表面上はそのように処理されたが、実祭は恭子の実力を
妬む、ヒール(悪役)のレスラーたちによって仕組まれた
真剣勝負、いわゆるセメント試合によるものだった。
 しかも、公正であるはずのレフリーまでもが買収されて
いたのだ。
 通常、セメントはプロレスの世界ではタブーとされ、団
体の秩序を乱すレスラーなどにリング上で制裁を加える、
という意味合いを持っていた。
 プロレスの八百長問題とも密接に関連していて、大っぴ
らに口にはされないが、必要な時にはフロント、選手を巻
き込んで行われることも多かった。
 そして、レフリーがグルになるのは何も珍しいことでは
なかった。当然、試合を最も近くで見ているレフリーには
その試合がセメントなのかどうかは一目瞭然だったからだ。
 そう、むしろ、レフリーと結託して行われるのが普通で
あった。レフリーの協力なしにはできないのだ。
プロレスの興行は、年間百数十試合にも及ぶ。
 その試合全てを全力で闘っていては選手の体がもたない。
 最近の格闘技系のプロレス団体をみれば、月1回の興行
がやっとである。いつも真剣勝負をしていたら、それぐら
いしかできないと言われている。
 そこでショーとして演出されたプロレスが現れることに
なる。
 決してやりたくてやっている訳ではない。
 それによってプロレスラーは、八百長の濡れぎぬを着せ
られてしまうことになった。このあたりの事情が解れば、
プロレスラー独特のコンプレックスが理解できる。
 彼らは決して練習を怠けず、常にプロレス以外の選手た
ちと闘う時は、必ず勝たなければいけないという。相手が
たとえ素人でも、彼らは八百長呼ばわりする輩を絶対に許
さない。
 道場破りなど来ようものなら、必ず腕の一本は関節技な
どで折って、ぼこぼこにしてから帰してやる。
 そうしなければ、彼らはプロレスラーに勝ったなどと吹
聴して回るからだ。
 異常なまでの勝利への執念。
 過剰なほどのプライド。
 そして、世間や自分自身への後ろめたさ。
 それらの感情の複雑なブレンドがプロレスラーを形成し
ている。
 そう考えていくと、セメント試合ほどスリリングな試合
はない。
 選手も、観客も実はそんな試合を望んでいる。
 選手はそんなぎりぎりの闘いをいつもやりたくて、毎日
夢に見るほどである。
 だが、家族がいたり、年を取ったプロレスラーもいる。
 生活のためにプロレスをやっている者もいる。
 プロレスラーが、生活のための一つの職業であるかぎり、
それは必ずついてまわる宿命みたいなものだ。
 いつも全力で闘う訳にはいかない。
 全く、世の中はうまくいかないものだ。

 神沢恭子が物思いに沈んでいる間に、試合開始のゴング
が鳴っていた。
 柳沢楓は、軽るやなかステップを踏みながら、相手選手
との間合いを計っている。
 相手は今、売出中の成長株、森谷美奈子(もりたにみな
こ)である。
 復帰戦の相手としては申し分ない。
 彼女はまだデビュー1年目の新人ながら、アイドル顔負
けのルックスとアマレス仕込みの実力をもち、エンジェル
・プロレスの将来のエース候補であった。
 正直、身体を壊して引退して、再びカンバックした楓の
ような選手にはもったいない相手だった。やはり、最後は
エンジェル・プロレスのリングで引退した異才のプロレス
ラー、神沢恭子の威光のおかげと言えた。楓はそのことに
ついて本当に感謝していた。
 というより、怪我を治し、リハビリ、カンバックするこ
と自体が、恭子なしでは全く不可能なことだったはずだ。
 楓はリングに上がれることが楽しくて仕方ないような様
子だった。後ろから見ている恭子にもそれは十分に伝わっ
ているはずだ。
 とにかく、身体が軽い。
 それでいて、『力』の塊が彼女の中心で出番を待ってい
て、いつでも出てこれるような状態。高圧の気力が彼女の
身体に満ちているのが、客席からもなんとなく判るほどた。
 約三年にも及ぶブランク、そんなことは全く感じさせな
い動きを彼女を見せていた。
 そのためか、相手の方も慎重だ。
 普通ならこの辺りで、選手同士が両手を組んで身体をぶ
つけあいながら相撲の四ッ身のような形で力競べをすると
ころだ。
 それが、未だにふたりは身体を触れ合わせてもいない。
 ピリピリとした空気が周囲に漂い、お互いの存在の中心
から球状の制空圏のようなものが形成されつつあった。
 その空域にどちらかが入り込んだ瞬間、勝負が決まって
しまうような緊張感がふたりを包んでいた。
 森谷美奈子は体の横に黒のラインが入った、黄色のアマ
レススタイルの水着を穿いていた。プロレスラーというよ
りスタイリッシュなアスリート、という印象を見るものに
与えた。
 長い髪を後ろで結んで、額が広く、小ぶりで形のよい整
った顔を見ていると確かに可憐で応援したくなるようなオ
ーラのようなものをまとった、特別な星の元に生まれた少
女であると納得できた。
 それに比べて楓の容姿は、下手をすると少年に間違われ
そうなさつぱりとしたショートヘアー、がっしりとした体
格で、美奈子と同じスポーティなアマレス用の水着を身に
つけていた。こちらはブルーに黒色のラインの入った地味
な色彩であった。
 背が美奈子よりも頭一つ高く、すらりとした長身で、ど
ちらかというと精悍な感じがする少年レスラーというイメ
ージである。
 現役時代も男よりもなぜか女のファンが多く、さわやか
で、どこか潔い魅力を持っていた。
 ファイトスタイルもアマレスを原点としているふたりだ
が、美奈子は掌底(手のひらをつかう、オープンハンドで
の打撃技)や蹴りを多用してから投げ、関節技に繋げると
いう攻撃万能型、楓の方はあくまで相手の攻撃を受けきっ
て、投げ、関節技を繰り出すという防御反撃型のスタイル
をとっていた。
 下手をすれば勢いのある美奈子の攻撃を受け続けるとい
う、楓にとっては嫌な展開になることは試合前から予想さ
れていた。
 だが、そんな厳しい試合さえも楽しんでしまうのが柳沢
楓であった。
 勇に肩を砕かれた後でさえ、彼女は苦痛よりも力を出し
切った充実感の方を大切に思っていた。
 まったく、これほどのプロレス馬鹿もいない。
 相手の技を受けまくって、相手の良い所、見せ場をつく
ってやり、全てを受け切った後に倒す。
 そのために、体力、精神力を極限まで鍛える。打たれ強
さを培うための地味なトレーニングを怠らない。それが柳
沢楓というレスラーであった。
 そして、異端の天才レスラー神沢恭子が楓をどのように
仕上げてきたかも気になるところである。
 波乱の予感を秘めつつ、今、最初の一撃が放たれようと
していた。



  






 <つづく>

              
                   1999.3.27









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