少女格闘伝説1

 



『異形の少女5』








 試合開始のゴングが鳴った。
 秋月玲奈はマットの上を滑るような、なめらかな足捌きで
まっすぐに中央へと進み出た。
 勇は彼女の周囲をゆっくりと円を描くようにまわっている。
 時折、ローキックを繰り出すそぶりを見せるが、ほとんど
がフェイントであった。
 お互い相手の様子を見ているようだ。
 試合は三十分、異種格闘技戦のルールを流用して、2回ロ
ープに逃れると1ダウンとみなし、七回のダウンもしくは、
KOによるテンカウントで負けとなる。
 その他、レフリーが危険または続行不能とみなした場合も
TKOとなり負けとなる。
 秋月玲奈のたっての希望でこのようなシビアなルールにな
ったという。
 ただのアイドル歌手がどのようにしてエンジェル・プロレ
スのフロントを説得したのか気になるところだが、勇にはも
うそんなことは関係なかった。
 勇のローキックが玲奈をとらえようとしていた。
 左、右、右、左と、コンビネーションの蹴りがしだいに玲
奈の両足にヒットしてゆく。
 その度に、玲奈は打たれた方の足を軽く浮かして膝をまげ
て丁寧に防御する。
 そうしないと衝撃をまともに受けることになり、あっとい
う間に両足がはれあがることになる。
 力の逃げ場所をつくってやるのだ。
 それでも、キックボクシングのジムで習った、勇の威力の
ある本格的な蹴りの前では、玲奈の足が壊れるのは時間の問
題だと思われた。
 しかし、勇は異変を感じていた。
 蹴った時の感触がおかしいのだ。
 足から放った力が吸い込まれていくように消えてゆく、そ
んな感じがした。
 玲奈の相貌には余裕の笑みさえ見えた。
 勇は知らなかったが、それは秋月流柔術において『流神(
るしん)』と呼ばれる特殊な防御技であった。
 ボクシングなどでダメージを減らすために相手のパンチな
どに合わせて首を左右に振って力を流す高度な防御テクニッ
クがある。
 それに似た原理で、身体の関節や筋肉の柔軟性を利用して、
それを攻撃に合わせてタイミングよく回転させたり、ひねっ
たりすることによって衝撃を限りなくゼロに近づける方法で
ある。
 勇の蹴りがわずかに弱まった瞬間をとらえて、今度は玲奈
の反撃が始まった。
 左のミドルキックに両手を絡ませたかと思うと、その足を
外側にひねるように回転させたのだ。
「うっ!」
 勇の左足に激痛が走った。
 瞬時に勇の足首の関節が極まり、玲奈はそのまま倒れるよ
うにマットに転がった。
 当然、勇の身体もひきずり込まれるようにマットに沈んだ。
 勇は倒れる瞬間に、左足首の関節を少しずらした。
 完全に極まればその瞬間に勝負が決まる。
 それが関節技の怖いところである。
 特に玲奈のそれは、ほんの一瞬の油断が命取りになるほど
の切れ味をもっていた。
 勇の背中を恐怖が駆け抜ける。
 左足が完全に極まる前にロープに逃れる。
 必死であった。
 エスケープとなりポイントをひとつ失うが玲奈と関節技の
攻防をするのは危険すぎた。
「それでも、プロレスラーか、逃げるんじゃねえ」
 客席からヤジが飛んだ。
 ただのアイドル歌手相手に苦戦するのはみっともないと言
いたげだ。
 勇は気にしなかった。
 父である絶頂時の天才プロレスラー、神沢勇吾を引退に追
い込んだ少女が目の前にいるのだ。
 その少女とわずかな時間とはいえ、互角に闘っているのだ。
 しかし、誰もそんなことは知りもしなかった。
 客席にいる一組の夫婦を除いては。




 




   <つづく>

                   1999.2.25





 



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