レフリーがふたりを分けて、試合が再開される。 勇が蹴りを放つと、玲奈が関節を取るという展開が続いて いた。 「あれじゃあ、ポイントを失うばかりでいつか追い詰められ るわね」 サングラスをかけた細っそりとした身体の女が言った。 「しかし、仕方なかろう。今の勇ではあれが精一杯だろう」 全身が筋肉の鎧でおおわれたような男は、不機嫌そうな表 情で答えた。まるで自分のことのように今にも歯ぎしりしそ うな剣呑な雰囲気を漂わせていた。 彼こそ勇の父親であり、同時にかつて天才プロレスラーと いわれた神沢勇吾、その人であった。 女の方はその妻、神沢恭子である。 彼女もまた格闘技色の強い、非凡な女子プロレスラーとし て一時代を築いた異才であった。 「勇はまだ、あのことを気にしているのかしら?」 誰ともなしに、神沢恭子は呟いた。 神沢勇のプロレスラーとしてのデビューは苦い記憶によっ て幕を開けていた。 それはプロテストまで遡る。 ふたりの天才プロレスラーを父と母にもつ彼女は、驚異の 新人として注目されていた。 その日、彼女の対戦相手はプロとして三年目の中堅レスラ ーだった。 異例のテストだったが彼女のアマレスなどの実績を考えれ ば当然とも言えた。 勇はその才能のある中堅選手と闘ううちに、自分の力が解 放されるのを感じた。 そして、悲劇が起きた。 勇の放ったジャーマンスープレックスホールドによって、 その選手は肩をこなごなに砕かれ、プロレスを二度とできな い体になってしまったのだ。 「勇ちゃんは悪くないわよ。あれは事故だったのよ。勇ちゃ んはプロレスを続けなきゃいけないわ」 彼女はベットの上から勇を励ました。 泣き崩れる勇に神様は微笑むことはなかった。 それからの勇のプロレスラー人生は悲惨なものだった。 七色のスープレックスと呼ばれた多彩な投げ技は影をひそ め、テクニックはあるがいつも何かに怯えるような覇気のな い試合しかできなくなっていた。 そして、期待の新人は今では、平凡な中堅選手として第三 試合が定位置となってしまっていた。 「でも、あの娘はもう失うものは何もないはずよ。玲奈ちゃ んなら勇の心を甦らせてくれるかもしれないわ」 神沢恭子の祈りは、次の夫の言葉によって台無しになった。 「勇が死にかけているのに呑気なものだな」 神沢勇吾は皮肉を込めて言い放った。 <つづく> 1999.2.26 |