少女格闘伝説1

 



『異形の少女7』








 確かに神沢勇吾の言葉は当たっていた。
 勇の身体は疲労の頂点に達していた。
 しかも、一方的に関節を極められつづけていたため、体の
関節で痛みのないところはなかった。
 動きはどうしても鈍くなる。
 そのスキをついて、玲奈は次々と技を決めていく。
 会場は異様な雰囲気につつまれていた。
 そこで展開されていたプロレスは、通常、道場で行われて
いる実戦的な技の応酬だったからだ。
 ドロップキックのような派手な飛び技も、ロープに振られ
て帰ってくることもないプロレスであった。
 決して今まで表面に出ることのなかった本当のプロレスが
出現しようとしていた。
 プロレスラーはいつも、ショーとしてのプロレスと道場で
の身体がきしみ声を上げるような厳しいトレーニングとのギ
ャップに苦しめられている。
 常にプロレスには八百長の噂がつきまとっている。
 それは半分は真実であるが、選手たちは決してトレーニン
グをなまけていないのも本当のことだったのだ。
 観客は静まりかえっていた。
 リングの上は鍛えられた肉体が悲鳴を上げる音、マットを
シューズが滑る音、そして、時折きこえる苦痛のうめきと叫
び声だけが支配していた。
 勇の身体は苦痛のためか、所々、感覚がなくなっていた。
 時々、意識が薄れることもあった。
 そんな時、勇はプロレスをはじめた頃のことを思い出して
いた。
 あの頃は楽しかった。
 父親の勇吾の関節をいつか極めてやろうと夢中で身体を動
かしていた。
 ただ、強くなりたいというシンプルな意志だけで闘ってい
た。
 苦痛が勇の心をその頃に戻しつつあった。
 右足の膝に、熱い鉄のかたまりをつっこまれたような痛み
があった。
 プロレスの膝十字固めと呼ばれる技だ。
 ほっとけば膝の靭帯が伸びきって、使いものにならなくな
る。
 勇はマットを這いずって、ロープへと逃れてゆく。
 やっと、つかんだ。
 ロープブレイクだ。
 亡霊のように勇は立ち上がった。

 息をつく間も与えず、玲奈の腕が勇の身体に巻きついた。
 すぐにまた、勇はマットにころがされた。
 レズでもないのに、マットの上でこんなことをやっている
自分がおかしかった。
 さっき、倒れる時にちらりと見えたが、玲奈の身体も無事
ではなかった。胴着の下の腕が真っ赤に腫れあがっていたか
らだ。
 私の蹴りも捨てたもんじゃないわ、と勇は思った。
 顔はきれいだけど、玲奈の全身の皮膚は醜く変形している
はずだ。
 それに、その頃になると、勇も関節技を切り返すことがで
きるようになっていた。
 まあ三回に一回ぐらいだが、これほどの関節技のスペシャ
リスト相手によくやっているほうだ。
 たぶん、女子ブロレス界でもこれほどの使い手はめったに
いないだろう。
 ひょっとすると、皆無かもしれない。
 だけど、一体、何分たったのだろうか。
 時計を見ようとしたが、勇の身体はいつのまにかうつ伏せ
にされていた。
 そして、何か熱いものが勇の首にまとわりついていた。
「……うぐぁ!」
 うめき声ともつかぬものが勇の喉の奥からもれた。
 呼吸が苦しくなっていた。
 玲奈の両腕が、後ろから勇の首を締めあげていた。
 スリーパーホールドというプロレス技によく似ていた。
 勇は身体をゆすって、なんとか逃れようとするが、玲奈の
腕はますます彼女の首に深く巻きついていく。
 もがき続けているうちに、汗で一瞬、玲奈の腕が滑った。
 その一瞬を逃さず、勇は素早く身体をひねって、玲奈の両
腕から逃れた。

 不思議と追撃はなかった。
 勇はまたロープをつかんで、やっと立ち上がった。
「………神沢先輩、あとワンダウンで先輩の負けです。しっ
かりしてください……」
 エンジェル・プロレスの後輩の若手たちの叫び声だった。
 最後の方は観客の拍手の音でかき消されていた。
 その時になって初めて、勇は観衆たちが自分たちの試合に
声援を送っていることに気づいた。
 いつのまにかリングの上の熱い思いが観客たちに伝染病の
ように広がっていたのだ。
 勇が立ち上がると、正面に秋月玲奈が立っていた。
 今までとは違う緊張感が勇の内側に生じていた。
 その刹那、玲奈の身体がなにげない様子でゆらりと動いた。
 気づいた時には玲奈の両足は、勇の首にするりと巻きつい
ていた。
 おそるべき跳躍であった。
 同時に、勇は利腕の右手の関節まで取られていた。
 柔道の三角締めに酷似した技であった。
 その技は秋月流の中では『飛蝶』(ひちょう)と呼ばれて
いた。
 ゆらゆらと空中を舞う姿が蝶に似ていたためその名がつい
ていた。
 それは、飛びついてからの固め技ののひとつである。
 そして、今の技は『飛蝶』の変化技のひとつ、『飛蝶十字
固め』という技である。
 瞬時に、首と右手の関節が決まり、脱出はおそろしく困難
であった。
 激痛で勇の顔がゆがんだ。
 呼吸が苦しく、ともすると意識が遠のき、このまま眠って
しまいたい誘惑にかられた。
 だが、勇の身体はそれを許さなかった。
 無意識のうちに、勇は玲奈の足首の関節を取っていた。
 玲奈の足が一瞬ズレた時、勇の左手がするすると玲奈の足
の間に忍び込んで、伸びきった右腕をつかんで引き戻した。
 後は、自分の腕をロックしたまま身体を回転させて、ロー
プにようやく逃れた。
 もう、後がなかった。
 あと、一回のロープエスケープだけで勝負は決まってしま
う。
「うおぉ!」
 勇は立ち上がると同時に、猛烈なラッシュをかけた。
 もう足が折れてもかまわない、というような蹴りの嵐を玲
奈の身体に叩き込んでゆく。

 レフリーは判断に迷っていた。
 このままではどちらにもダメージの残る試合になってしま
うだろう。
 すでにそうなりかけていたが、反則でもなければ、試合を
止められる雰囲気ではなかった。
 客席の盛り上がりはメインイベントの比ではないほどだっ
たし、なによりもレフリー自身がこの試合のゆくえを最も知
りたかったからだ。
 試合時間はまだ、十五分を少し回ったところだ。
 だが、試合を止めろ、というレフリーだけが分かるフロン
トからのサインが再三、放送席から送られていた。
 たとえ勇のような中堅プロレスラーといえども、プロレス
ラーが素人に万が一負ければそのイメージダウンははかりし
れない。
 プロレスには何のメリットもない。
 レフリーが試合を続けさせるのは不可能と判断しようとし
た時、その異変は起こった。









   <つづく>






                   1999.2.28









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