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▼ 第1回投稿作品 ▼





sakazakiさんへ                             
                              haruoです

嬉しがってさっそく送ります。聖書を読んだ事の無い人には本当にわかりづらい
作品ですが、読んでみて下さい。
途中でわからなくなったら、無理しないで下さい。
感想を聞ければ幸いです。  




「永遠の生命」                            
                             作 haruo

注  この話は、まったくの創作であり、いかなる宗教の教義ともまったく関係有り
ません。

プロローグ
私は、2029年から2034年にかけて、人類に大きな変化が来ると感じる、
それ は世に言う「福千年」の様なものにであろうと思う。
聖書と言う書物が有るのは多くの方がご存知であろうが、この聖書なるものが、いっ
たい何者なのかを考えると、まったく不可解な存在である事が分かる。内容は、古代
イスラエル民族の信仰と歴史、(旧約)そして、イエスキリストの教えと彼の生涯、
(新約)である。この書物は、ある統計によると年間億単位の数が印刷されている。
これは超ベストセラーと言う言葉では収まらないだろう。
ただ、不可解な事に、新約、旧約はまったく次元の違う読み物に見える、キリストの
教えだけに限れば、新約だけで事が足りる、イスラエルの歴史と言う事であれば、旧
約であるが、イエスが現れる、少し前の記述で突然終わっている。その後の事は何も
書かれていない。
普通に読むと、新約と旧約は趣旨も内容もまったく別のものであるのに、この二つが
いつもセットになっている。しかし、この二つがセットになっている事に意味が有る
とするならば、それは、どのような意味であるのか?私は、一つの仮説を立てて、考
えてみようと思った。

創世記
はじめに、神は天と地を創った・・
創世記の最初の部分は、今までに何度と無く論議されてきた、これを地球の創造と考
えるのなら、物理的に順番がおかしい、天地より光が先に無くては宇宙の中の地球は
説明できない。
この部分は、明らかに、一つの特別な環境を作ったと解釈すべきではないのか。天と
地とは、いわゆる、BOXつまり、入れ物である。そして、順次その中の環境を整え
ていったと解釈する方が自然である。
一体なんの為の環境なのかははっきりしている、それは人の生息の為の環境でしかな
い。
ここでなされた事の目的は、人を生じさせる試みであったとしか考えようが無い。そ
の為にすべての環境は整えられた、のである。
まず、エデンの園でアダムとイブが創られた。と言うと必ず、進化論なる反論が出て
くる、考古学的、生物学的な仮説では進化論は説明がつくが、現実を見てみると、目
の前で明らかに進化が起こったと言える事例はいまだに無い、特に種の範囲を超える
進化は起こる可能性は極めて少ない、ネアンデルタールも遺伝子学上ホモサピエンス
の先祖ではないとされている。
つまり、いまだに、聖書にある、「種類にしたがって創造した」と言う記述に反証す
るものが出てきていないのである。このことから、アダムとイブもいわゆるホモサピ
エンスの最初の者として創造された事が伺える。
さらに、聖書の記述の先を見てみると「サタンの誘惑によって善悪を知る木の実を食
べた」とされている、このことは二つの出来事を意味している。一つは、この時から
知的進歩が始まった、そしてもう一つは、その時に「悪」の要素が入った、と言う事
である。この事を創造者が予定していたのかどうかは分からないが、私の推測では、
計画の変更ではなく計画の一部であったような気がする、その理由は後程語る事にな
るので、ここでは、どのようにしてこの出来事が起こったのかを考えてみよう。
アダムとイブが創造された時には、機械で言うとハードの創造であったと思われる、
その中にプログラムを組み込む最中に、サタンは自分の思う内容を組み込んでしまっ
たのであろう。
サタンは明らかに創造者に反対する立場の者であると思える、よって、創造者の計画
の破壊が彼のねらいであった事は間違いない、巧妙に分からない様にプログラムの中
にサタンの資質を組み込んでしまったのだ。
アダムとイブはエデンの園を離れ、外の世界に出た、これは行動の中で学習し人とし
て必要なものを身につける為であった、そして、増殖も大きな目的であった。アダム
とイブは一つの種の様な物であって、育って増える事が求められた、そして目的に
叶った実をつけなくてはいけなかった。これは、壮大な牧場を想像させる。後にイエ
スが、人を麦にたとえ、創造者を農夫にたとえる事があったが、それはたとえではな
く事実だったのかもしれない。
このことは、創造者が人類を食物にすると言った単純なものではなさそうである、そ
の目的はまったく分からないが、人がどのようなものになる事を願ったかは比較的わ
かりやすい。そのことに付いては聖書の至るところに出てくる。
モーセの十戒、イエスの山上の垂訓等が代表的であるが、
1、 創造者にに対する服従
2、 相互協力
3、 人間性
等が考えられる、2、は必要な固体を出来るだけ多く収穫する為に必要な二次的特性
であったかもしれない、3、は漠然とした定義ではあるが、はっきりとした方向性は
持っている、個々で捕らえると曖昧だが、人類全体では歴然とした特徴をもってい
る。
さて、話を進めよう、アダムとイブはエデンの園を離れ必要な資質を得る人類の長い
旅の第一歩を歩み始めた、ここで、いきなりサタンの組み込んだプログラムが作動す
る、それは最初の子カインであった、カインはいきなり自分の弟のアベルを殺してし
まった。創造者は即座にカインを隔離した、サタンのプログラムが感染しない様に印
をつけて、他の者から見分けられるようにした。これは、創造者が組んだ純粋なプロ
グラムの中には「愛」と呼ばれるものがあり、「相互協力」の中心を成す物であっ

た、本来、この影響が大きく出る事が人に求められるがこの能力が強いと逆に「悪」
から、自分の固体を守る事をしなくなる、その為に「悪」の因子を持った者はたやす
く、人を破壊できてしまう。最初の人類はまさに新生児の様に悪に対してまったく抵
抗力が無かった事は容易に想像される。
カインをそのままにしておけば、次々と他の人を破壊し、すぐに人類は消滅してし
まった事であろう。
カインは隔離され、人は順調に増えて行った、しかし、サタンの仕込んだプログラム
はカインにだけ影響を与えたのではなかった、また作動しないまでも、「悪」のプロ
グラムは人の中に組み込まれていた事は間違い無かった。まるで時限装置が働くよう
に「悪」は人の中に現れ始めた、アダムが死ぬ頃になってそれは更に猛威をふるっ
た、創造者は新たなワクチンになるプログラムを注入したが、問題は解決しなかっ
た、彼らは一つの決断を下した。
「洗浄作業」であった。これは、優秀な個体を残して、サタンのプログラムの影響が
大きくて改善が望めない者は消してしまう。と言うものであった。
サタンのプログラムの特徴は、破壊的行動と、創造者の誤認であった、正しい創造者
に従わず、サタンに従うか創造者などはいないと錯覚させるのが、サタンのプログラ
ムの特徴である。
そして、もう一つの問題があることも分かった、当初、この生物の寿命を1000年
に設定して計画をはじめたが、サタンのプログラムの影響などで、純粋な進歩が妨げ
られ、このような寿命では、世代間の進歩が進まない事が判明した。そこで、創造者
達は、当初から用意してあった補助プログラムを実行した。それが、洗浄である。
残すべき個体に、ノアとその家族が選ばれた、ノアには、その他にも、サタンのプロ
グラムの影響を逃れた者がいないかを確認する役目も与えられた、サタンのプログラ
ムの影響が有る者は創造者を認める能力が劣っているので、その仕事はノアにしか出
来なかった。しかし残念な事に、他にはノアと同じ様な者はいなかった。
洗浄作業は無事に終わった。サタンのプログラムそのものは確かに取り除かれた、し
かし、その影響が無くなったわけではなかった。その影響を取り除くには更に長い時
間が必要だった、いや、本当の意味でそれを取り除く事は出来なかった、サタンのプ
ログラムの影響で、一部にサタンのプログラムの特性が備わってしまったのだ。
ノアの後、人の寿命は約100年に設定され、セム、ハム、ヤペテ、と言う3っつの
グループに分けられた、それは、それぞれが異なった地域で増えそこに適応する為で
あった。
そして創造者は、セムの子孫のアブラハムとその子孫に特別な任務を与えた、創造者
は、アブラハムに、カナンの地を与える事とその子孫が増える事を約束された。そし
て、アブラハムは、創造者の意志のしたがって生きる事、その事を子孫にも守らせる
事を約束した。
ところが、アブラハムとその妻サラの間には子供が出来なかった、当時の常識から見
ても、二人に子供が産まれる年齢はとっくに過ぎていた、サラはすでに女性の月の物
も止まっていた、このような二人が子供を持てたのはどうしてなのか?これは、創造
者によって人工授精が成されたのだろう。(人間が行ったのではないので、「人工・
・」の表現はおかしいが、いわゆる自然でない受精が行われたと思われる。)
このような事は、後にも歴史の重要なところで行われている。
この後、アブラハムは生まれた子イサクを生け贄としてささげるように求められてい
るが、アブラハムの気持ちの中には、自分の子と言うより「授けられた子」と言う気
持ちが強かったのだろう、さしたる抵抗もなく淡々とイサクを指示どうり生け贄にさ
さげようとしている。
創造者は、アブラハムが、何処まで創造者の意志に従うかを試された後、イサクを解
放した。アブラハムは、創造者に服従する事において、100点満点だったのであ
る。

その後、アブラハムの子イサク、その子であるヤコブを、イスラエルと名付けイスラ
エルの子孫を創造者はもっとも大切にし、指導した、創造者は、幾多の預言者指導者
を彼らに贈り、常に必要な方向性を教えてきた。そこには偉大なる目的が有ったと考
えざるを得ない。
創造者は、アブラハムに定住の地を約束したが、そのご1000年間その約束は果た
されなかった、これは、イスラエルの民を荒野にて、あるいはエジプトの奴隷として
過酷な境遇に置き、その意志を強固にする為であった、いかなる環境にも耐える準備
が必要であった、1000年の後に、モーセを贈り、約束の地へと向かわせたが、創
造者との契約を絶対の物としてみとめない者は、荒野でその命を終わらされた、モー
セすら約束の地にははいれなかった、約束の地に入った後もダビデ、ソロモンの時代
に大いなる繁栄は見たもののわずか100年しか続かなかった、これは、サタンが仕
組んだ「悪」のプログラムがどうしても消去できなかったからである。
モーセから更に1000年の後に、創造者は最後の決断を下した。それは、イスラエ
ルを人類から削除する事、そして、ノアの時に行った洗浄を再度行う事であった、し
かし、これには多くの危険があった、何と言っても、ノアの時代と違って、この時代
には地球上いたるところに人類は生息しその数も二億近くになっていた。ノアの時に
は、チグリス、ユフラテスと言った二つの川の河口に地域的な洪水を起こせばそれで
事が足りたが、今度は地球規模の洪水を起こす必要が有り、これはたとえ出来たとし
ても地球の生態環境そのものを破壊してしまう。
それを、回復し新たに人を育てる事は、不可能に近かった、しかし創造者は今有る人
間をそのままにして置く事は好ましくないとし、多くの預言者を通じて人々にこの世
の終わりを告げ知らせた。この最後通告によって、人々が、自らの手により「悪」の
プログラムを排除するか少なくとも抑制する事を少しは期待していたのだろう。
しかし、その期待はまったく裏切られた、人間は、創造者を離れ、人間自ら作り出し
た価値観によって行動する事を止めなかった。仕方なく、創造者は人類の滅亡のプロ
グラムを作動させようとした。
しかし、その時、彼と共にこの計画の助けてとして、いや実行者として働いていた創
造者の子が意見を述べた。「待って下さいお父さん、こういう時の為に最初から用意
していた緊急避難プログラムが有ったではないですか。どうか、あのプログラムを実
行させて下さい。」
創造者は、その言葉を遮った、「あのプログラムは実行できない、なぜならば、その
為には私か、おまえか、どちらかが人類の中に入って行きプログラムを起動させない
といけない、しかし、今の人間は完全にサタンの残したプログラムに汚染されてい
る、その中に入っていけば、私達と言えども生きては帰ってこれないだろう。」
子は言った「いえ大丈夫です、私に考えが有ります。緊急避難プログラム『贖い』と
同時に最終プログラム『永遠の生命』を作動させるのです。」「つまり、私が、人間
として彼らの中に入って行きます。そして、同時に最終プログラム『永遠の生命』を
作動させるのです。」
創造者は言った「最終プログラム『永遠の生命』はまだ実験段階で確実に作動するか
どうかわからない、失敗したらどうするんだ。私はおまえを実験台にする事は出来な
い。」
「大丈夫です、それにたとえ失敗しても、私は人間をこのまま滅ぼす事は出来ませ
ん。確かに彼らはサタンのプログラムに汚染されています、しかし、まったく悪に染
まってしまったわけでは有りません、ソドムとゴモラで同じ事が起こった時も、たと
え一人でも正しく成長した物がいたら滅ぼさない、と約束したではないですか。」
創造者は、その子の人類を愛する熱意にかける事にした。「わかった、おまえの方法
でやってみなさい。」

ガリラヤのイエス

こうして、創造者の子イエスはベツレヘムでマリアの子として、人間の中に入った、
遺伝子的には人間と同じであったので、イエスもやがては死ななくてはならない体で
あった、しかし、脳に組み込まれたソフトは、創造者と共にいたイエスのものであっ
た、脳の記憶は意外と簡単にコピーできる、(もちろん当時の人間にはその技術力は
なかったが。)イエスが、人間として生まれ、本来の活動を始めるまでには30年が
必要だった、イエスがイエス自身の遺伝子をマリアの中に入れて生まれてきても、体
の、特に脳の機能が十分に発達しないとソフトは動かせない、また、地球上でのデー
ターの取り込みも必要であったので、どうしても、30年はかかってしまった。
イエスの先に送られてきた、バプテスマのヨハネも、アブラハムの子イサクと同じ様
に特別な方法で、この世に生まれた人間であった、サムエルもそうであったが、創造
者が特別な任務を持たせてこの世に送った預言者の中には、その出生自体が特別のも
のであった人が多いのは、その人達には特別な操作が必要だったからに過ぎない。し
かし、イエスはそれらの預言者達とは根本的に違っていた、それは、イエスがこの世
において創造者そのものの特性を持っていなくてはいけないからであった。
まず、イエスは多くの癒しの奇跡を行った、その中で、死者も蘇らせたがこれは、後
に行うイエスの復活とは違い、あくまで癒しの奇跡の延長線上にある物であった。イ
エスは人々に、人間本来が持つべき特性について語り、一人一人の「考え」と言うプ
ログラムを書き換えていった、これは、経験によるプログラムのコピーの様な物で、
最初の12人を選んで、コピーしそれを、人類の中に波動の様に広がらせる、人間の
深層心理の中に創造者の意図を組み込み直すと言う作業であった。
イエスのもう一つの大きな仕事は「宮清め」であった、これは、神殿に納めてある
「アーク」
の機能を正常に戻す事であった、このためイエスは三度も神殿に行った。「アーク」
はモーセの時代に人類の中にセットされた、創造者からの受信機能を持った特殊増幅
器である。それは、創造者の意志を人類に告げる役目を持っていたが、サタンのプロ
グラムによって、一部が変更され、機能に問題が出てきていた、この為に本来人を幸
福にする為の十戒が、一部の者により悪用されて逆に人を苦しめ創造者から引き離す
働きになっていた。
イエスは、いわゆる「律法」を正しいものにした。と言うのはこの事である。
プログラム『贖い』は、創造者と共にイエスを信じる事によってサタンの影響を切り
離し、人間自らの力と意志で、創造者とイエスに従うようにするものであった、しか
し、このプログラムはあくまで、人間のプログラムを助けるものであって、一方的に
悪のプログラムを削除してしまうものではなかった。悪のプログラムを削除するに
は、人間の意志の力が必要であった。
イエスは、正しい創造者の意志を人々に教え、その短い活動を終えようとしていた、
しかし最後の難関が待っていた、それは、最終プログラム『永遠の生命』の作動実験
であった、さすがに固い決心をしてこの世に来たイエスであったが、出来る事なら、
無事にもとの創造者の元に返りたいと願った、そして、イエスは「ゲッセマネ」と呼
ばれるところに入って、創造者と通信を行った、「父よあなたには出来ない事はあり
ません。どうかこの杯を私から取り除けて下さい。しかし、私の思いではなく・・」
しかし、その計画を中途で止める事は出来なかった。
後は、最終プログラム『永遠の生命』が、正しく作動するのを願うしかなかった。ユ
ダの大祭司達はイエスを捕らえてピラトに引き渡した、サタンのプログラムに汚染さ
れた人達はイエスを十字架にかけた。しかし、十字架の上でも、最終プログラム『永
遠の生命』は作動しなかった、イエスは十字架の上で言った「エロイ、エロイ、ラ

マ、サバクタニ」「・・どうして私をお見捨てになったのですか」
イエスは死に、墓に葬られた、そして3日後に三人の女達が墓に行くまで、そこで何
が行われたかはいまだに明らかにされていない、しかし、イエスはその時すでに墓の
中にはいなかった、その後に、イエスはマグダラのマリアに、またイエスの弟子達に
復活されたその体を現された、マルコによる福音書には「イエスは違った姿で御自身
をあらわされた」(16:12)
と書かれている、この言葉の意味を2000年後の人類は知る事になる。

福千年

最終プログラム『永遠の生命』は、確かに作動した、そして、イエスは復活し、人類
も復活する事が可能になった、しかし、創造者は更に2000年の歳月を待たれた、
イエスのプログラム『贖い』が、福音として人々に広まり、その機能が人類全体に及
ぶのにその期間が必要だったのである。イエスが再セットした「アーク」は、その後
人目に触れない所に隠され現在に至っているが、その効力は大きく人類を進歩させ
た、科学が発達し、それまでに出来なかった事を、可能にした、創造者のプログラム
どうり、人は人自身を研究し、創造者の持つ力の一部を手に入れるまでになった、し
かし、これは創造者に反する事ではなく、まさしく創造者の意志であった、人はまさ
に、「不死不滅と永遠の生命」を手に入れようとしている。
イエスが復活してからちょうど2000年(西暦2033年)には、遺伝子操作の技
術が人間にも応用され、「人間のクローン」が誕生するであろう、また同時に人の脳
の記憶をコンピューターに移し替える技術も完成される事だろう、この二つの技術の
結合により、人は生前に保存しておいた自分の遺伝子により、再び同じ肉体を得、そ
してそこにコンピューターに写しておいた自分の記憶を注入する。これが、人間の得
た『永遠の生命』である。
しかし、あと33年ほどで、人は「永遠の生命」にふさわしい心を得る事が出来るの
であろうか?
イエスが望んだ復活とは、イエスのごとき思いを持った人が、「永遠に生きる事」
だったのではなかったのか?たとえ肉体は滅びても、イエスの思いは人々の中に生き
続けてきた、そして多くのイエスに従う人達がいた、イエスがその身を犠牲にしてま
で救おうとした人類は、イエスの心を「永遠のもの」とする事が出来るのであろうか
?                                         

 完

尚、
この作品の発想は推理作家、夏樹静子さんの実兄でもある作家の五十嵐均氏(/58/
作家)が、インターネットHP「地球法廷」
(http://www.nhk.or.jp/forum/menu.htm)の中で語られていた
内容にヒントを得たものである事を書き添えておきます。
また、この作品は、娯楽的読み物として書いたもので、聖書の内容とか歴史的事実に
意見を加えるものではありません。                                                          作者






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