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▼ 第9回投稿作品 ▼






 タンゴ




 少年がここへ立ち寄るようになってから、
早くも1週間が過ぎようとしていた。
暗い繁華街のいかがわしい雰囲気が漂うダンス・ホール。
…もちろんダンス・ホールなどと言うのは表向きで、
裏では暴力団が絡んだストリップまがいの見せ物で
生業をしているいかがわしい場所であった。
 まだ表情にあどけなさの残る少年が、
何故こんなところへ通っているのか。
それは幾重にも重なった偶然に寄るところが多いが、
あえて一言で言うならば『運命』とでも形容すれば
良いであろうか。


 今から数週間前。
ホコリ臭い雨が降りしきる街で塾帰りの少年が見つけたのは、
泥酔して道路に横たわる、みすぼらしい中年女の姿だった。
 少年はこの時関わり合いになるのはどうかとも思ったが、
このまま冷たい雨の中に置き去る訳にもいかない。
 彼がおそるおそる近付いて声をかけると、
中年女はようやく目を覚ましたらしく、赤ら顔で
さも愉快そうに笑い出した。
ドギツイ赤のスリップに、肩を多い隠すほどの縮れた長髪。
赤のルージュに濃い化粧、甲高い声…
少年は彼女が、この近くにある水商売の人間だということを
その風貌から感じ取っていた。
 少年が風邪をひく前に家へ帰る様に勧めるが、
うつぶせのまま笑い続ける彼女は
一向にその場から離れようとしない。
店の人に連れ帰ってもらおうと思い店の名前を聞いても、
ただケラケラと笑い続けるだけだった。
 …仕方もなく無理矢理起こそうと肩に手をかけた少年は、
そのとき初めて彼女がかなりの高熱を出していることに
気が付いた。
 急いで携帯電話を取りだし、救急車を呼ぼうとする少年。
しかし女は他の人間を呼ぼうとすると、
まるでダダっ子の様に暴れて嫌がり、彼の邪魔をした。
 …やむをえず雨を避けるためにシャッターの降りた
中華料理屋の前で呆然と立ち尽くす少年と、
少年に背負われたままついに寝込んでしまった中年女。
 しばらくの間どうする事もできずに悩んでいた少年に
ズカズカと傘をさして近付いてきたのは、
灰色のスーツとサングラスにパンチパーマといった格好の
『いかにも』な感じの男だった。

 ダンス・ホールの裏口から楽屋へと女を背負ったままの
状態で案内された少年は、そこであられもない姿で
ショーの出番待ちをする数人の女性を目にして顔を赤らめた。
意外な来客を、とても嬉しそうにもてはやす踊り子たち。
彼を連れてきた『いかにも』な男は
「ボウヤが困ってるじゃねぇか」と彼女らをかき分けると、
楽屋の更に奥にある小さな布団部屋に2人を案内した。
 男は女の体をバスタオルで拭くと、
押し入れから数枚の布団を出して女を寝かせ
電気ポットで3杯の茶を入れる。
ありがとうと、潰れた声で男と少年に呻く女。男は、
女にあれほど飲み過ぎるなと説教をしながら
1杯の茶で風邪薬を飲ませると、
改めて少年に向き直り、「すまねぇな」と
似合わない笑顔を見せて湯飲みを差し出した。


 少年が受け付けから裏口へと通されると、
そこではあの、チンピラ風の男が笑顔で立っていた。
男は少年の肩を力強く抱き、ここでバイトしねぇか?と
いつもの様に持ちかける。
一方の少年は、これもまたいつもの様に笑顔で言葉を濁しながら
楽屋のドアへと逃げる様に滑り込んだ。
 楽屋の中には、あの時道路に倒れていた女が
ショーの支度に化粧をしている真っ最中であった。
女が少年に気付き、嬉しそうに歓迎の声を上げる。
また見ていってくれるの?という女の声に、
少年は恥ずかしそうにうなづいた。

 客の少ないこの店のショータイム。
少年は他の客とは離れて再後尾にもうけられた席に座っていた。
舞台の横に立っているあのパンチパーマの男が、
茶目っ気を出して少年に軽く手を振る。
 照明が落ち、一段と暗くなる店内。
ピンスポットライトが舞台の中心を眩しいほどに照らしだす。
 ステージの奥から出てきたのはあの中年女。
少年は彼女のショーに招待される様になってから、
毎晩ここへ立ち寄っていた。…しかしそれは、
彼の様な少年が一時期に持ついやらしい感情ではない。
少年は彼女の踊る姿に、淫猥な物とは別に浮かぶ『何か』を
見出しかけていたのだ。
その事をすっかり仲良くなったあの男に話しても
スケベ野郎が何言ってんだ、としか言われなかったが、
少年はこの感覚の正体を確かめるために此処にいた。

 ライトが、かつては美しかったであろう中年女性の体を
舞台の上に浮かび上がらせる。
白や赤の光が交錯する中、激しく淫らに踊る女。
 アップテンポな音楽が終わると照明も暗く一転して、
場内にはタンゴが流れはじめた。
彼女のショーは、いつもこの同じ流れを組む。
それまで笑顔で踊っていた曲から、シックな曲へ。
 青いスポットライトの中で踊る彼女は、
普段は決して見せる事のない複雑な表情をしていた。
いつも陽気な彼女が垣間見せる、地球上でたった一瞬のこの時。
曲名も知らない切なく暗く重いタンゴは、
まるで彼女の人生の暗黒面を映し出すかの様に
少年の心の奥底を深く揺さぶっていた。
少年が惹かれる物は何だったのだろう。
彼女の本来の姿だったのだろうか。
それとも、この幻想的な空間が見せた虚像だったのだろうか。

 …曲が終盤に近付く頃、
ステージの女は不意に一滴の涙をこぼした。
客達が一斉に、その意外な空気を感じとる。
…その涙の理由を知っていたのは、
少年と、少年に気付いた彼女だけであった。
 彼女は、少年の瞳からとめどなく流れる涙を見て泣いたのだ。
 少年が惹かれていた物は何だったのだろう。
彼女の本来の姿だったのだろうか。
それとも、この幻想的な空間が見せた虚像だったのだろうか。
 彼は涙で視界が潤もうと、彼女から目を離すことはなかった。
彼には、ようやく見えたのだ。
タンゴの響きが余りにも切ない理由が。
何故彼が、彼女の踊りから目を離せないのかが。

 それは
この曲を歌っているのが、幸せと希望に包まれていた
若い頃の彼女自身であったからである。

 客が整然とする中、その日の彼女のショーは幕を閉じた。
 少年は独りぽつんと離れた客席の隅で、
うずくまったまま声を殺して泣き続けていた。
誰も彼の涙に気付く者はいない。彼は低い嗚咽の中で、
彼女をたまらなく、いとおしく愛していた。


 …翌日男から聞いた話では、
彼女は皆が引き留めるのも聞かずに店をやめ
別の街へと行ってしまったらしい。
 少年は昨夜の一件でこうなることを感じていたが、
それは仕方無い事であるということも同時に理解していた。
 帰り際に少年は男にあの曲を譲ってくれるよう頼んだが、
そのテープは彼女が持っていってしまったらしく、
いつのまにか音響室から無くなっていたそうであった。

 少年は彼女を思い返していた。
ただ彼女に別れを言えなかった事を胸に悔やんでいた。

 いつもの『平凡な生活』へと帰る道で、
彼は女が何処にいるのかを重い巡らせる。
 彼女は別の街へ行っても踊り子として暮らしてゆくのだろう。
今までそうだった様に、これからも。きっと。

 誰にも言えない心の裏側を、
屈託の無い笑顔と
酒と…

 あのタンゴで誤魔化しながら。



 完





                           




                     1999.11.1










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