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▼ 第26回投稿作品 ▼


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「お父さん!、孔雀さんがいるよ」
「ちいちゃんよりも、大きいかなぁ」
 千佳子と達也が、手をつないで歩いている少し後ろを、真弓がうつろな表情を浮かべながら、付いて行く。
「ほらお母さん!孔雀さんがいるよ」
 はしゃいでいる千佳子に、真弓はそう言われると、少しだけ首を縦に振った。
梅雨の中休みの、良く晴れた六月最後の日曜日、河原一家は、小田原城市公園(おだわらじょうしこうえん)の中にある動物園に来ていた。
 この日までに、ノイローゼがひどくなり、病院に行くようになってしなった真弓は、パートを辞めていたのであった。そして毎日、真弓の落ち込んでいる姿を見ていた達也は、引っ越してから、それでなくても家から出ない真弓に、少し外の空気を吸わそうと思い、この日、千佳子も連れて外出しようと、決めたのである。しかし、あまり体調の良くない真弓を遠出させる事は出来ないので、電車ですぐに行ける、小田原城市公園に行く事になったのであった。
 千佳子は、まだ真弓に抱っこされていた時に、一度だけ小田原城市公園に来た事があると、両親に聞かされていたが、千佳子にその時の記憶はなく、またそれ以外に、動物園に行った事がなかったので、千佳子は始めて動物園に来た様に、動物達を眺めていたのであった。  

「お父さん、肩車して!」
 一家が、小田原城の天守閣にある展望台に着くと、背が低く、落下防止用の網が邪魔で景色が見えにくかった千佳子が、達也に肩車をせがんだ。
「ちいちゃん、こんなとこで危ないから、よしなさい!」
 真弓が、千佳子に、いましめるような口調で言った。
「まぁ、いいじゃないか」
 達也は、怒っている真弓に言うと
「ちいちゃん、ちょっとだけだよ」と言って、しゃがんで千佳子を肩に乗せた。
「わぁー」
 達也が立ちあがると、千佳子はひさしぶりに見る、高い所からの景色に、感嘆の声を上げた。千佳子の目の前には、小さくなった小田原の町が見え、その向こう側に、相模湾が広がっている。そして千佳子が、相模湾の岸に沿って目を動かすと、霞んだ三浦半島と、どこまでも続く浅葱色{あさぎいろ(水色)}の空が目に映った。
「お父さん、海が見えるよ」
「ちいちゃん、海好きだもんね」
 千佳子は、楽しそうに景色を見ていたが、どこまでも続く空を見ていると、なぜか憂鬱な気持ちになっていった。
「お父さん、降ろして」
「ちいちゃん、もういいの?」
「うん」
 達也は千佳子にそう言われると、不思議な顔をして千佳子を床の上に降ろした。

「あの山の麓の辺りが国府津(こうづ)・・・・・・・・・・・・・・」
 達也が真弓に、指を差しながら、展望台から見える景色の説明をしている。千佳子はその話しを、達也の隣で、少しの間聞いていたが、景色から目をそらして聞いていた千佳子はつまらなくなり、二人に黙って、天守閣の中に入って行った。
 天守閣の中には、土産物屋があり、大勢の人でにぎわっていた。千佳子はそんな天守閣の中を、しばらく見まわしていたが、土産物屋にあるキーホルダー売り場で、数人の少年達が楽しそうに話しているのを見ると、そっちの方に寄って行った。
「これ、方位磁石が付いてるぜ!」
「おぉ、こっちのはライトが付いてるよ」
 こったキーホルダーを眺めながら、少年達がどれを買うか悩んでいる。千佳子は少年達の横で、鉄の網にたくさん掛けられたキーホルダーを、眺めていた。するとその中に、小さな犬のぬいぐるみが付いているキーホルダーがあり、千佳子はそのキーホルダーに目を奪われていた。
「ちいちゃん、どこいってるの!!。迷子になったら困るでしょ!!」
 千佳子がいない事に気がついて、天守閣の中に入ってきた真弓は、千佳子を見つけると、大きな声でしかった。
「ちいちゃん、こんな所にいたのかぁ」
 真弓の後ろに付いて来た達也も、困った顔をして千佳子に言った。
「ごめんなさい」
 千佳子が、うつむきながら謝っている。
「ちいちゃん、そろそろ行くわよ」
 真弓は千佳子にそう言うと、下の階へ降りて行く階段の方に、歩いて行こうとした。
「お父さん、あれ買って」
 歩き出さない千佳子を見ていた達也に、千佳子が、犬のぬいぐるみが付いたキーホルダーを指差しながら言った。
「これ?」
「うん」
 達也は、千佳子の指差したキーホルダーを手に取ると、値札を引っくり返している。
「ちいちゃんだめよ!、この前ぬいぐるみ買ってあげたばっかりでしょ!」
 振り返って、千佳子と達也の話しを聞いていた真弓が、千佳子をしかりつけた。まわりの人達が、真弓の大きな声に反応して、三人の方を見ている。
「・・・・・・・」
 千佳子は、泣き出しそうな顔をして下を向いていた。
「まぁ、いいじゃないか」
 達也が、興奮している真弓になだめる様に言うと
「しょうがないわねぇ」と言って、真弓は達也からキーホルダーを受け取った。
「これください」
 真弓はそう言うと、キーホルダーを店員に渡して、持っていた革のバックから財布を取り出そうとしている。
「いいよ、ここは俺が払うから」
 お金を払おうとしている真弓に、達也が、ズボンの後のポケットに入れておいた財布を出しながら言った。
「だめよ、達也さんが買ってあげるとちかこ、甘えるだけなんだから」
 真弓が、つっけんどうな声で達也に言うと、達也は何も言えなくなり、ズボンの後ろのポケットに財布をしまった。
「六百円になります」
 千佳子は買ってもらえる事になって、うれしい気持ちになっていたが、妙にさみしそうな顔をしながら、財布からお金を出している真弓を見ると、そのうれしい気持ちもしだいに冷めていき、買ってほしいと言った自分に後悔していた。

 小田原城から出ると、達也が、ジユースでも飲みながら休もうと言い出したので、動物園の中にあるベンチに行って腰を下ろした。すると千佳子が、動物達の糞の匂いがするので別の場所がいいと言い出し、真弓も出来たらその方がいいと達也に言ったのであった。すると達也が、小田原城市公園の中にある小田原市立図書館(おだわらしりつとしょかん)の中庭が休憩所になっているからそこで休もうと言い、二人とも賛成したので、一家は小田原市立図書館に向かって歩いて行った。

「お父さん、鹿さんがいるよ」
 図書館に続く道を達也と並んで歩いていた千佳子が、道の脇にある檻を指差しながら、達也に言った。すると前の方から、一人の男の子を連れた夫婦が、男の子の両脇に付き、手をつないで歩いて来た。
「いくぞ! ジャーンプ」
 両脇に並んで歩いていた夫婦がそう言って、男の子を手で持ち上げると、男の子がうれしそうに声を上げた。
「キャー」
 達也と並んで歩いていた千佳子は、その三人が通り過ぎて行くのを振り返りながら見送ると、二人の後ろを、下を向いて歩いていた真弓の方に寄って行って
「お母さん、また頭痛いの?」と、言った。真弓は首を横に振って、だいじょうぶと言ったが、千佳子の目に映る真弓から、暗い憂鬱な影が消えていく事はなかった。
「入口入ればすぐ解るから、先に行ってて、俺、この先にある駐車場に行ってジュース買ってくるから」
 一家が、図書館が見える所まで来ると、達也が真弓に言った。
「いしょに行くわよ」、
「いやぁ、ここからちょっと離れてるからさ、俺が走って買ってくるよ」
 達也はそう言って、二人に何が飲みたいか聞き出すと、真弓がバックから財布を出そうとするのをさける様に、すぐさま駐車場へと走って行った。真弓が、達也の後姿を、バックに手をあてながら見つめている。そんな両親を見た千佳子は、気まずそうな顔をして立ちすくんでいた。
「ちいちゃん、行くわよ」
 真弓がそう言って歩き出すと、千佳子は下を向いて真弓の後を付いて行った。

「お母さん、あそこにも檻があるよ」
 二人が図書館の前に着くと、千佳子が図書館とは反対側の、木の生い茂った所を指差しながら言って、そっちの方に走って行った。
「ちいちゃん、どこ行くの!」
 真弓が、めんどくさそうな顔をして、千佳子の後を追って行く。千佳子が、檻の前に着くと、鳶が三羽、羽をばたつかせて檻の中を歩き回っていた。
「お母さん、とびさんがいるよ」
 千佳子は、何かを発見した様に目を輝かせて、後ろから追ってきた真弓に言った。
「ちいちゃん、行くわよ」
 真弓は、相変わらずめんどくさそうな顔をしている。
「お母さん、ちょっとだけ待って」
 千佳子はそう言うと、またとびを見つめた。そんな千佳子に真弓は、しょうがない子ねぇと言うと、千佳子の後ろで鳶を見ていた。はじめは目を輝かせて見ていた千佳子であったが、普段は空を飛んでいる鳶が、檻に入れられているのを見ていると、段々さびしい気持ちになり、ふと、
「でも、これじゃぁとびさん飛べないねぇ」と、つぶやいた。人気の少ない図書館周辺を、昼間の静寂が包み込み、言い知れない虚無感が二人の親子の心に漂っている。
「檻の中の鳥は、飛べないのよ」
千佳子の後ろに立って鳶を見ていた真弓が、重たい口調で言った。その言葉を聞いて真弓の方に振り返った千佳子は、その言葉の余韻が残る、母親の孤独な表情を、得たいの知れない不安を感じながら見つめていた。




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