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▼ 第26回投稿作品 ▼


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 真弓の嘘がばれたのは、達也が出張から帰った次の日の事であった。真弓は、達也が帰って来ると、嘘が通用しない事は解っていたが、どうしても本当の事が言えず、とっさに千佳子は優樹の家に泊まりに行った事にしたのであった。達也は、千佳子と優樹の間に何があったか知らなかった事と、たまたま達也が出張から帰った日が土曜日だった事で、真弓の嘘をすっかり信じ込んでしまったのである。そして、次の日の夕方になっても、千佳子が帰って来る事はなかったのであった。
「電話してみるよ」
 台所のテーブルに向かい合って座っていた真弓に達也は言うと、立ちあがって後ろを向き、テレビの横にある電話の受話器を取った。真弓は、全身凍りついた体を座らせたまま、達也が電話している姿を見ていた。
「来てないって」
 達也は、通話中の受話器から顔を離すと、不思議な顔をしながら、真弓の方に振り向いて言った。真弓は、そのまったく自分を疑っていない夫の顔を見ると、自分が娘にしてしまった事に対しての強烈な罪の意識が湧き上がり、座ったまま泣き崩れてテーブルに顔を伏せた。夕焼け色に染まった部屋に、真弓の泣きじゃくる大きな声が響いている。達也は、何がどうなっているのか解らないといった様子で、少しの間呆然と泣いている真弓を見ていたが、
「もしもし」と言う、受話器から聞こえてくる声で我に帰り、優樹の母親と少し話しをすると
「失礼します」と言って、受話器を置いた。真弓の方に振り返った達也が、何かを感じ取った様に、泣きじゃくっている真弓を見つめている。達也は、真弓の方に近づいて行ってしゃがむと、真弓の肩を手で揺すりながら、
「どうしたんだよぉ」と、強い口調で言った。真弓は、達也にそう言われると、自分がした事、それを千佳子が見てしまった事、そして千佳子が家を出たきりまだ帰って来ない事を正直に話した。それを聞いた達也は、我を忘れるような妻への怒りを振り払う様に立ち上がると、捜索願いを出すために、警察に電話をかけた。


 灰色(はいいろ)の雲が、富士山を覆い隠し、明神・明星ヶ岳を包み込んでいる。

 次の週の水曜日、男の人は近くにある小学校の給食室の裏口に来ていた。
「いつも、すいません」
「いいのよぉ、困った時はお互いよ」
 給食室用の白衣を着たおばさんから、男の人がコッペパンの入ったビニール袋を受け取っている。
「こんなにいいんですか」
「今日は、いっぱい残ったの」
 給食のおばさんは、優しい笑みを浮かべながら男の人に言った。

 男の人と給食のおばさんが出会ったのは、男の人が川原に住み着いてから三ヶ月後の事であった。川原に住み着いて給食のおばさんに出会うまで男の人は、よく一軒一軒家を訪ねて、食べ物や石鹸などを貰っていたのであった。その一軒の中に、給食のおばさんの家があったのである。そして、二回目におばさんの家を訪ねた時、家を訪ね回るのは大変でしょうと言われ、自分が勤めている学校の給食室に来るように勧められたのであった。男の人は、最初遠慮していたが、あまった物はどうせ捨てちゃうんだからと、おばさんに強く勧められ、以来ここに通うようになっていたのである。
「今日はねぇ、こんなのがあまったの。しゅんちゃんに食べさせてあげて」
 給食のおばさんはそう言うと、ソーセージがいっぱい入ったビニール袋を、男の人に渡した。
「いやぁ、ありがとうございます。瞬が喜びます」
「ほかにいる物があったら、いつでも言ってね」
 給食のおばさんはそう言うと、裏口のドアーを閉めて中に入って行った。男の人も、恐縮した顔で二つの袋を眺めると、今にも雨が降り出しそうな空を気にしながら、来た道を歩いて行った。

 男の人が帰る途中、学校の正門の前に差し掛かると、正門の角に看板が立て掛けてあった。
「この女の子探しています。見かけた方は、警察までご連絡ください。神奈川県警」
 男の人は、両手に持っていた二つの袋を落とした。その看板に張ってある写真に、千佳子が写っていたのである。少しの間、立ち尽くしていた男の人は、我に帰ると、急いで二つの袋を拾い、走って小屋に向かった。
 千佳子は日曜日に帰る予定であった。しかし男の人が日曜日に帰るように言うと、千佳子は、また首を横に振ったのであった。千佳子も、最初は日曜日になったら帰ろうと思っていたが、達也が出張から帰った日からもう一日、家を空けていたために、帰って達也に家を空けた理由を聞かれたら、なんと答えればいいか、解らなくなっていたのである。そんな千佳子の態度に、男の人はいいかげん頭に来て、千佳子を小屋の外に追い出し、トタンの扉を閉めると鍵を掛けて、千佳子が入れないようにしたのであった。千佳子は、しかたなく扉にもたれ掛かると、しばらくしてから泣き出してしまったのである。男の人は、その千佳子の泣き声を聞かないように小屋の奥に行って、両手で耳をふさいだが、どうしても耳に入ってくる千佳子の泣き声に耐えられず、千佳子をまた、小屋の中へ入れたのであった。

 男の人が、小屋に着き中に入ると、そこに千佳子と瞬の姿はなかった。男の人は、千佳子が昼間遊びに行く事は今までなかったので、慌てて川原をまわしたが、千佳子と瞬の姿はなかった。川原に小雨が降り始め、トタンの屋根に当たって、カンカンと音を立てている。男の人は、しかたなく小屋に入ると、扉を閉めて横になった。男の人が、薄暗(うすぐら)い小屋の天井を見つめている。男の人が、寝返りを打ち横向きになる。トタンの壁を目に写した男の人は、中学生の時テレビで見た、反戦集会に参加している人達や、大学の校舎を占拠している学生に、暴行を加えて逮捕する、機動隊と警察官の姿を思い出していた。

 昼すぎから降り出した雨は、次第に激しくなっていった。

 少し雨が小雨になった夕方頃、やっと千佳子と瞬が小屋に帰って来た。
「おじちゃん、濡れちゃった」
 千佳子は、そう言いながら小屋に入ると、瞬も小屋の中に入れてトタンの扉を閉めた。
「ちいちゃん、昼間は出歩かないって約束したろ」
 男の人が、少し怒った口調で言った。千佳子が下を向いている。
「どこ行ってたの」
 そう男の人が聞くと千佳子は、下を向いたまま、上流にある報徳橋(ほうとくばし)の近くで瞬と遊んでいたら、急に雨が降ってきたので、橋の下で雨宿りしていたと答えた。
「おじちゃん、ごめんなさい」
 いつもと違う男の人の態度を怖がって、千佳子が謝っている。男の人が、立って下を向いている千佳子に、話があるから座るようにと言った。それから男の人は、小屋の奥の荷物が置いてある所から、ロウソク立てに刺さったロウソクを取り出して、自分の前に置くと、マッチで火をつけた。少し濡れて、寒そうにしている千佳子が男の人の前に座ると、ロウソクに手をかざしている。その横で瞬は、うつぶせになって顔を壁の方に向けていた。男の人は、座りなおし、正座すると、さっきとは違う優しい声で、千佳子に言った。
「ちいちゃん、もうお家に帰ろう」
 追いつめられた悲しげな男の人の眼差しが、千佳子に向けられた。千佳子は、その男の人の目を見ると、足を前に組んで両手で抱えこみ、額を膝に当てて首を横に振った。
「今日はいいから、明日雨が上がったら、お家に帰ろう」
 千佳子が、しきりに首を横に振っている。
「ちいちゃんの事、おまわりさんが捜してるんだ。このままだとおじちゃん、おまわりさんに捕まっちゃうよ」
 泣きそうな声で、男の人が千佳子に言うと、千佳子は、首を横に振らなくなり、膝に顔を埋めたまま動かなくなった。
「たのむよちいちゃん、お願いだからお家に帰ってよ」
 男の人はとうとう泣き出し、両手を前に突くと、体を前に倒し、額を両手の甲につけて泣き続けた。その泣き声を聞いた千佳子が、顔を上げて泣いている男の人を見ると、千佳子も泣き出した。薄暗い小屋の中に二人の泣き声が響いている。そして、その泣き声をかき消す様に、トタンの屋根を打ちつける雨の音が激しくなっていった。
 我を忘れて泣き続けていた千佳子は、しばらくすると、自分の下半身のあたりに、冷たい物を感じて顔を起こした。すると男の人が、何かに取り付かれた様な顔で、千佳子の下半身を触っていた。
「おじちゃん、何するの」
 千佳子が、困ったような声で言っても、男の人は止めようとしない。
「おじちゃん、やめて!」
 今度は大きな声で千佳子が言ったが、男の人は触り続けた。怖くなった千佳子が小屋の端の方に逃げた。男の人が狂った様な目で千佳子を見ながら近づいて来る。千佳子は、男の人が自分の側に来ると、震えながら顔を壁の方に向けた。
「ガブ!」
 また、千佳子の下半身を触ろうとした男の人の右手に、瞬が噛みついた。
「いて!」
 男の人が、悲痛な声を上げながら、噛みついた瞬を振り払おうとしている。千佳子は男の人と瞬がもみ合っているすきに、小屋を出て靴を履くと、大雨の降るサイクリングコースを走って行った。

 男の人が追いかけてくると思った千佳子は、全速力で走った。
「ザーー!!」
 さっきまで降っていた大雨が、さらに雨脚を強めていく。千佳子は、雨が目に入らないように、顔を少し下に向けると、脇目も振らず走り続けた。  行き先も考えないまま走っていた千佳子が、ふと顔を上げると、ラジコンのヘリコプターをいっしょに川原で飛ばした少年と始めて会った時に、少年が座っていた滑り台が目に入った。千佳子は蓮正寺公園の柵をくぐると、滑り台の側面を貫いて空いている穴の中に入った。穴に入った千佳子が、四つん這えで奥の方に進んで行く。千佳子は、穴の中央に着くと、膝を抱えて座り、額を膝につけて身を縮ませていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
 全速力で走って来た千佳子が、息を切らしている。千佳子は、目をつぶって休んだ。すると、右のほっぺたを舐められた。
「しゅんちゃん!!」
 瞬は、千佳子の後を追いかけて来たのであった。千佳子は、泣きながら瞬に抱きついた。
「しゅんちゃん恐いよぉ、しゅんちゃん恐いよぉ」
 滑り台の穴の中に、千佳子の泣き声が反響している。千佳子は、瞬に抱きつきながら何度も
「しゅんちゃん恐いよぉ」と、言い続けた。


 夜の十時を過ぎた頃、雨は完全に上がり、雲の隙間から、いくつかの星が瞬いていた。
「おい!、穴の中に何かいるぞ!」
 雨が上がってから、公園にたまりに来た少年達の一人が、みんなに聞こえる声で言った。周りの少年達が集まって来る。最初に見つけた少年が、持っていたライターを付けて、穴の中を照らした。
「犬だ!」
「グゥーー」
 少年が叫ぶと、瞬が少年達を威嚇して、うなっている。
「おい、犬の向こうに、まだ何かいるぞ」
 火を灯(とも)している少年の後ろで、穴の中を見ていた少年が言った。
「女の子だ!」
 後ろで見ていた少年が、驚いた様な声で言った。すると、一番後ろで見ていた少年が、穴の周りに固まっている少年をかき分けて穴の前に行き、自分のライターを灯しながら穴の中を窺った。その少年は、千佳子と川原でラジコンのヘリコプターをいっしょに飛ばした少年であった。
「おい!お前こんな所で何してるんだ」
 千佳子だと解った少年が、少し笑いながら千佳子に言ったが、千佳子は反応しない。
「グゥーー」
 瞬が、威嚇してうなり続けている。
「おい!だいじょうぶか」
 声をかけても千佳子が反応しないので、少年は心配になって、穴に入って行ったが、瞬が今にも噛みつきそうな声でうなりながら近づいて来たので、あきらめて穴を出た。それから少年は、警察を呼ぶために、公園の近くにある公衆電話へ向かって走った。

「おまわりさん、あそこです」
 バイクで蓮正寺公園に来た若い警察官に、通報した少年が、滑り台の穴を指差して言った。
「おー、あそこだな。解った、あとは私がやるから、君達は家に帰りなさい」
 警察官は、滑り台の前でたまっている少年達にも聞こえるような声で言ったが、少年達は、一向にどこうとしない。
「ほぉーら、帰った、帰った」
 警察官は、そう言いながら、滑り台の前に行くと、どけと言う様な手振りをしながら、少年達を滑り台の穴の前から追い払った。少年達は、良い事をしたあげくに、たまり場まで奪われ、ふてくされた顔をしている。
「第二の方に行こうぜ」
 一人の少年が、ふてくされた声で言うと、少年達は道路の脇に止めておいた自転車に乗って、蓮正寺第二公園の方へ散って行った。外灯の光が、自転車をこいで道路を走っていく少年達を、照らしては消していく。通報した少年は、自転車のサドルに腰掛けたまま、少しの間穴を見ていたが、周りの少年達が全員いなくなると、通報した少年も蓮正寺第二公園の方に消えて行った。
 若い警察官は少年達が、いなくなるのを見届(とど)けると、穴の中を持っていた懐中電灯で照らした。すると、通報してきた少年が言ったように、一匹の犬と、一人の女の子が、穴の中で寄り添っているのが見えた。
「グゥーー」
 警察官に、瞬が威嚇してうなっている。
「こんな遅くに、そんなとこで何してるんだい」
 警察官は、懐中電灯で千佳子の顔を照らしながら言った。
「おーい、おーい」
 声をかけても起きない千佳子に、警察官が何度も声をかけている。
「んーー」
 懐中電灯で顔を照らされながら、何度も声をかけられたせいで、千佳子が目を覚ました。
「出ておいで」
 警察官が、手招きしながら言ったが、千佳子は恐がって出て行こうとしない。
「おまわりさんが来たから、もうだいじょうぶだよ。恐がってないで出ておいで」
 そう警察官が言うと、懐中電灯で照らされ、誰が自分を照らしているか解らなかった千佳子は、自分を照らしている人がおまわりさんだと知り、おまわりさんなら、なんとかしてくれるのではないかと思って穴の中から出た。警察官は、穴から出て来た千佳子を見ると、つい先日捜索願いが出された女の子だと解った。
「おまわりさんといっしょに、お家に帰ろうね」
 警察官はそう言うと、一旦派出所に連れて行こうと思い、千佳子の肩に左手を回した。
「ガブ!!」
 千佳子の後ろに付いて穴から出てきた瞬が、千佳子の肩に回した警察官の左手の腕に噛みついた。
「いて!!、放せ!!」
 噛まれた警察官は、後退りして、公園の地面に倒れた。瞬が、体を震わせながら、倒れた警察官の左腕を噛み続けている。警察官が、苦痛な表情を浮かべながら、噛みついている瞬を右手で思いっきり殴ったが、瞬は噛み付いた腕を放そうとしない。
「しゅんちゃん、やめて!!」
 滑り台の前で立ち尽くしていた千佳子が、瞬に向かって叫んだ。警察官は、慌てて腰に着けている警棒を右手で抜くと、瞬の顔を思いっきり殴った。
「キャン!!」
 殴られた瞬は、吹き飛ばされ、横向きで地面に倒れると動かなくなった。
「しゅんちゃん!!」
 それを見た千佳子は、瞬の名前を悲鳴の様な声で叫ぶと気絶してその場に倒れた。公園の向かい側にある、市営住宅の部屋の明かりがいくつか付き、住人が窓を開けて、公園の方を窺っている。倒れていた警察官は、制服にべっとり付いた泥を気休め程度に掃うと、噛まれた腕を痛そうに押さえて、気絶している千佳子に寄って行こうと足を一歩踏み出したが、異様な殺気を感じて立ち止まった。警察官が、殺気を感じた方へ振り向く。すると、さっきまでぴくりともしなかった瞬が、ゆっくりと起き上がった。起きあがった瞬が、よたよたと千佳子の方に近づいて行く。警察官は、その千佳子を守ろうとする、瞬の驚異的な意思に、少しの震えを覚えながら、瞬が歩いていく姿を見ていた。
「グゥーー」
 倒れている千佳子のすぐ横で、左の耳と顔から血を流している瞬が、警察官を睨みながら威嚇してうなっている。それを見た警察官は、もう一人では手におえないと判断し、千佳子と瞬の方を見ながら、柵をまたいで道路に出ると、左の胸に付いている無線機のマイクを取って応援を呼んだ。瞬は、警察官が無線で応援を呼んでいるのを見て、動物の本能で仲間を呼ばれたと感じたのか、千佳子を残したまま、川原の方に続く道へ走り去って行った。 




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