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▼ 第26回投稿作品 ▼


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          9

 千佳子はそれから二日間、学校が終わると、家にランドセルを置いてから、少年とラジコンのヘリコプターを飛ばした酒匂川の川原へ行ったが、そこに、少年の姿はなかった。夕方近くまで待ってみるのだが、少年は一向に現れず、千佳子は二日間、鮎釣りが解禁になって、釣り人が多くなった川原で、川の流れを見つめたり、釣り人を眺めたりして、少年が来るのを待ったのであった。


 三日目、千佳子は、同じように川原に行って、辺りを見渡した。すると、千佳子が立っている川原よりも上流の空に、ラジコンのヘリコプターらしき小さな物が、動き回っていた。千佳子は、歩いてきた川原をもどって、土手に行くと、上流へと自転車を走らせた。

 土手を通って富士道橋をくぐり、酒匂川サイクリングコースの入り口の手前を右にそれると、車が通れる程の道がある。千佳子はその道まで来ると自転車を降りて、空を気にしながら、自転車を押して歩いて行った。
 しばらく千佳子が自転車を押して歩いて行くと、ラジコンのヘリコプターを、少年と同じ様にプロポで動かしている人がいたので、千佳子は、その人の近くに寄って行ったが、少年ではなく、中年の男の人だった。千佳子はがっかりしたが、まだどこかに少年がいるような気がして、そこからさらに上流へと自転車を押して歩いて行った。

 車が通れる程の道が途切れて、草だらけになる所まで来ると、千佳子は疲れと、自分の知らない所に来た不安で、歩くのをやめた。そして近くにあった、川に降りて行く階段の方に行って自転車を止めると、鍵を抜いて階段に腰をおろした。対岸には、日中の日の光に照らされた雑草の鮮やかな緑が美しく輝いている。千佳子はその対岸の緑を眺めながら、両手を後ろについて、体を休めた。
「ワンワン」
 しばらくの間、千佳子が体を休めていると、千佳子が座っている道より一段上にある、サイクリングコースの方で犬の鳴き声がした。千佳子は、誰かが犬の散歩でもしているのだろうと思って、対岸を見つめながら、鳴き声を聞いていた。
「ワンワン」
 相変わらず、犬が鳴き続けている。千佳子はしばらく犬の鳴き声を聞いていると、ずっと同じ所から鳴き声が聞こえてくるので、おかしいと思っていた。
「ワンワン、ワンワン」
 千佳子は、なんだか自分が呼ばれているような気がしてきて、後ろに振り向き立ちあがった。そして、服に付いた砂を手で払うと、千佳子が座っている階段のすぐ後ろにある、サイクリングコースに登って行く坂道をゆっくりと登って行った。
 坂道を登りきってサイクリングコースに出ると、アスファルトで出来た道の向こう側に平らになっている場所があり、そこにトタンを折り固めて作ったような小屋が立っていた。そしてその横に、地面に打たれた杭に鎖でつながれたコリーが、千佳子の方にしっぽを振って吠えていた。千佳子はそのコリーを見てすぐに、少年と川原で出会った日に、自分の首筋に鼻を押し当ててきたコリーだと解かり、コリーの方に寄って行った。
「くすぐったい!」
 千佳子がコリーの頭をなでていると、コリーはあの日と同じ様に、千佳子の首や顔に鼻を押し当ててきた。千佳子は、その押し当ててきたコリーの石鹸の匂いがする顔に、自分の顔をこすり付けた。コリーが千佳子の顔をベロベロとなめている。
「ちいちゃんねぇ、一人ぼっちなの。いっしょに遊ぼ!」
 しばらくじゃれあってから千佳子は、答えるはずもないコリーに頭をなでながら言った。
「ちいちゃんか。いい名前だなぁ」
 千佳子は後ろから声が聞こえたので振り返った。すると、ダルダルの長袖のTシャツと、冬でもないのに生地の厚い長ズボンを履いた男の人が、いつの間にか立っていた。
「この犬、おじちゃんの犬?」
 しゃがんでコリーとじゃれあっていた千佳子は、男の人の顔を見上げながら聞いた。
「あー、そうだよ。でもおじちゃんかー。まだ二十七なんだけどなぁ。まいったなぁ・・・・・・・・・・・・・・」
 男の人は、千佳子の質問に答えると、苦笑いをしながら、何やらぶつぶつと、つぶやいている。
「この犬、何て名前なの」
「瞬(しゅん)て言うんだ」
「へぇー、しゅんて言うんだ。めずらしい名前。オス?」
「いや、メスだよ」
「じゃぁ、しゅんちゃんだね」
 千佳子はそう言うと、瞬の方に向いて、
「しゅんちゃん」と名前を呼びながら、さっきと同じ様にじゃれあった。
「しかし、瞬が俺以外に、こんなに人になつくなんて、始めて見たなぁ」
 男の人が、千佳子と瞬がじゃれあっているのを見ながら、ひとり言の様につぶやいている。
「おじちゃん、しゅんちゃんなんで鼻を押し当ててくるの?」
 千佳子は、まだ鼻を押し当ててくる瞬の行動に疑問を感じて、男の人に聞いた。
「瞬は鼻が悪いんだ」
 男の人が、少し淋しそうな声で言った。それから、瞬のそばに寄って行くと、かがんで瞬の頭をなでた。
「でも瞬は、いろんな芸ができるんだよ」
 千佳子の方に振り向いた男の人は、そう言うと、瞬に芸をやらせた。
「お手!」
「おかわり!」
 犬を飼った事がなかった千佳子は、それを感心して見ていた。
「ちいちゃんもやっていい?」
「ああ、いいよ」
 千佳子は男の人にそう聞くと、同じ芸をやらせた。
「しゅんちゃん、お手!」
 しばらくすると、瞬に芸をやらせている千佳子を、しゃがんで見ていた男の人が、立ちあがりながら、
「じゃあ、とっておきのやついこうか」と言って、瞬の首輪についている鎖を外した。そして近くにあった木の棒を手に取ると
「いくぞ、瞬!」と言って、サイクリングコースの草むらの方に投げた。投げられた木の棒のあとを、瞬が走って追いかけて行く。瞬は、草むらから木の棒を見つけると、口にくわえて男の人の所に走って戻った。
「よしよし」
 男の人が、瞬の頭をなでながら、なでていないもう片方の手を瞬の口の前に出した。すると瞬は、出された手の上に、くわえていた木の棒を載せた。
 そのとっておきの芸を、しゃがんだまま見ていた千佳子は、立ちあがりながら、
「わぁ、すごい」と言って、目を丸くした。
「ちいちゃんもやってごらん」
 男の人はそう言うと、持っていた木の棒を千佳子に渡した。
「うん」
 千佳子が、嬉しそうにうなずいている。
「しゅんちゃん、取って来て」
 千佳子はそう言うと、木の棒を、男の人と同じ所に投げた。
「こんな芸、教えればどんな犬だって出来るようになるんだよ。でも瞬は鼻が悪いから、覚えさせるのは大変だったんだ」
 瞬が木の棒を取りに行っている間に、男の人が千佳子に言った。千佳子は、瞬が戻って来ると、笑みを浮かべながら頭をなでて、瞬から木の棒を受け取った。サイクリングコースを走っている人が、二人に視線を向けない様に、通り過ぎて行く。
「僕はそろそろ、小屋に入らせてもらうよ」
 男の人はそう言うと、瞬の首輪に鎖を着けて、小屋の方に歩いて行った。
「おじちゃん!しゅんちゃんと遊んでいい?」
「ああ、いいよ。でも鎖は外さないでね」
 男の人が、振り返らずに言った。
「うん」
 そう言いながら千佳子は、疲れきった男の人の背中を見つめた。男の人は、小屋の前に着くと、トタンの扉を開けて中に入って行った。「ガタン!」
 それから千佳子は、日が暮れるまで瞬と遊ぶと、乗って来た自転車に乗って、家に帰って行った。

 

 



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