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▼ 第26回投稿作品 ▼


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 学校が終わると千佳子は、家に帰るために、一人で荒地を貫いた様に通った、住宅地へと続く砂利道を歩いていた。雨上がりの雲のある空から日が差し込み、時折吹きつける風が、荒地に生えている、千佳子の背丈よりも高い雑草を揺らして、しゃらしゃらと音をたてている。千佳子の周りでは、下校している小学生達が楽しそうにはしゃぎあっていた。千佳子が荒地の真中あたりまで来ると、後ろの方から、ランドセルの中のカンペンケースがかたかたと鳴る音が、近づいて来たので、千佳子は後ろに振り返った。すると優樹がこっちに向かって走って来るのが見えた。優樹は千佳子の所まで来ると、はぁはぁと息を切らしながら聞いた。
「河原さんち、こっちなんだ」
「うん、ゆうくんちは?」
「僕んちも、こっち。河原さんちって、どこなの」  
 千佳子はあまり答えたくなかったが、班長の事で助けくれた優樹が、親しみをこめた声で聞いてきたので、指をアパートの方に向けながら、場所を説明した。
「へぇー、市営住宅の向こう側なんだ。僕んちはねぇ、住宅地の川沿いの方。緑の広場ってあるだろう、その近くなんだ」
「じゃあ、途中までいっしょだね」  
 千佳子は優樹の話しにうなずきながら言った。 しばらく二人で話していると、優樹が千佳子に聞いてきた。
「河原さんて、前の学校で何て呼ばれてたの?」
「ちいちゃん」
「へぇー、ちいちゃん、千佳子だから」
「うん、みんなねぇ、私の事ちいちゃんて呼ぶの」
「じゃー、僕もちいちゃんて呼ぶね」
「うん」  
 千佳子は、少し恥ずかしそうな表情を浮かべている。
「でもちいちゃんて、広島から来たのにぜんぜんなまってないんだね。普通向こうの人は(ほぉじゃけんのぉ)とかって言うじゃん。」 「うちねぇ、お父さんが小田原の人で、広島に来ても話し方変えなかったし、お母さんは広島の人なんだけど、お父さんと一緒にいてどっちでもしゃべれるから、私もどっちでも話せるの。でも、向こうに七年も暮らしてたから、たまに広島弁が出ちゃうけどね」
「へぇー」  
 少し笑みを浮かべている千佳子の顔を見ながら優樹は、何か新しい事を発見した様な、それでいてどこか納得のいかない顔でうなずいた。
「じゃー、(ほぉじゃけんのぉ)って言って」  
 優樹はさっきとは裏腹に、今度は目を輝かせて、興味しんしんな表情で千佳子にねだると、千佳子は正造の低い声を真似ながら 「ほぉじゃけんのぉ」  と言ったので、二人は大きな声で笑いあった。
「ほっほっ本物だ」
 優樹は笑っている千佳子に、少しおどけた声で言うと二人はさらに大きな声を上げて笑いあった。
「ちいちゃん、今日ひま」
「うん、ひまだけど」
「今日、緑の広場で弟とキャッチボールするんだ。一緒にやらない?」
「うん、いいよ」  
 千佳子は、キャッチボールなどやった事は無かったが、優樹と一緒に遊びたいとゆう気持ちが強かったので、直ぐにうなずいた。  このまま二人は、たわいもない会話をしながら住宅地の、二人が別れる所まで来ると、時間と場所を確認して、別々に家に帰って行った。    

 昼の二時に、緑の広場に集合する約束だったので、千佳子は昼ご飯を食べると、十分前に家を出て、自転車で緑の広場に向かった。 千佳子が広場の前の道に着くと、ネットに囲まれた誰もいない閑散とした砂地で、すでに優樹とその弟と思われる男の子が、キャッチボールをしていた。千佳子が来たら直ぐ解るように、道の方に向いてキャッチボールをしていた優樹は、千佳子が来た事に気が着くと、弟に手で合図をしてキャッチボールやめた。そして、広場のネットの近くに置いておいたグローブを拾い上げると、弟を連れて千佳子の方に走って近づいて行った。
「やぁ、こいつが弟の良和(よしかず)。みんな、かずくんて呼んでるんだ」
「こんにちは」  
 優樹の横に立っていた良和が、千佳子にあいさつをしている。
「こんにちは」  
 千佳子は良和にあいさつをしながら、良和の話し方が妙にゆっくりだと感じていた。
「ちいちゃん、このグローブ使ってよ。僕が使いこんだやつだから、使いやすいと思うよ。」  
 優樹がグローブを千佳子に差し出しながら言うと、千佳子は言われるままに、色あせた、しわしわのグローブを左手に着けた。
「わぁー、ぶかぶか」  
 千佳子はグローブに手を出し入れして、大きい事を優樹にアピ−ルしている。
「うーん、ちょっと大きいかなぁ」  
 優樹が悩ましげな表情を浮かべながら、千佳子が手を出し入れしているグローブを見つめていると、良和が、左手に着けていたグローブをはずしながら
「こっちの方が小さいよ」 と言って、千佳子に渡した。千佳子は少し遠慮したが、着けるだけならと思い直し、優樹に渡されたグローブを脇に抱えて、良和のグローブを着けた。
「あっ、ぴったり」
「じゃぁ、こっちのグローブにしなよ。僕がお兄ちゃんのグローブ使うから」  
 良和は、誇らしげな表情で言うと、少し遠慮している千佳子から優樹のグローブを受け取った。
「かずくん、大丈夫か?」
「うん」  
 優樹は心配になって良和に聞いたが、普段あまり女の子と話した事が無い良和が、あんまり嬉しそうな顔をしていたのと、普段からキャッチボールをよくやっていて、良和の腕前がたしかなものだと知っていたので、それ以上何も言わなかった。それから三人は、千佳子が投げられるボールの距離に合わせて、三角形に広がると、優樹が良和に、良和が千佳子に、千佳子が優樹にボールを投げるといった形でキャッチボールを始めた。
 千佳子は最初、一度もやった事がないキャッチボールに少し戸惑っていたが、取りやすいボールを投げてくれる良和と、どんなボールを投げられても、笑って受け取ってくれる優樹のおかげで、じょじょに慣れていった。
「ちいちゃん、その調子!」
 八回目の投球で、なかなか良いボールをなげた千佳子に、優樹が声をかけている。その声で千佳子は、誇らしげな笑みを浮かべた。
 引っ越して来てから今日まで、千佳子はさして体を動かす事が好きでなかった事と、まだ学校でも体育の授業が始まっていなかった事で、1ヶ月半近く体を動かしていなかった。そんな千佳子にとって今日のような晴れた日に体を動かす事はとても気持ちの良い事であり、キャッチボールに慣れ出した千佳子は、白い軟球のボールを力いっぱい優樹に投げていった。
「かずくん、俺の魔球を受けてみろ!」
「おーよ」  
 しばらく三人でボールを回していると、慣れ出してきた優樹は、少し速めのボールを良和に投げた。速く投げられたボールは、良和よりも少し横に反れてしまい、それを無理やり取ろうとした良和は、かなり無理な格好で地面に倒れてしまった。
「かずくん!」
「お兄ちゃん、痛いよ」  
 優樹は急いで良和に近づいて行くと、良和の肩を抱えて立ち上がらせ、服についた砂を手で掃った。良和の肘と膝からは血が流れて、皮がぐちょぐちょになっている。優樹は顔をこわばらせながら、良和に「歩けるか?」と聞くと、良和がうなずいたので、肩を抱えたままゆくっりと家へ歩いて行った。千佳子は、その様子を呆然と見ていたが、二人が歩き出すと、その後を少し脅(おび)えながら付いて行った。   
 優樹と家にいた母親が良和の手当てをしている間、千佳子は家の二階にある、優樹と良和が使っている六畳間で待たされていた。部屋の中は開いている窓から差し込んでくる夕日の光で、オレンジ色に染まっている。千佳子は待たされている間、部屋のスペースをかなり占領している二段ベットの下の段に、寄り掛る様に座って、良和の事を心配しながら下を向いていた。押し入れのドアーには、写真を印刷した、大きなポスターが貼られている。そのポスターには、プロ野球選手のバッターが、フルスイングしたすぐ後に、打ったボールを見つめている姿が映っていた。下を向いていた千佳子はしばらく待たされていると、顔を上げてそのポスターを眺めた。千佳子は、野球の事など何も解らなかったが、野球選手の輝いている瞬間を映し出したポスターに、少しの間目を奪われていた。
「カチャッ」  
 ポスターに見入っていた千佳子は、ドアーの開く音がしたのでドアーの方に振り向くと、優樹が氷とジュースの入ったコップを二つ乗せたお盆を持って、部屋に入ろうとしている。
「ごめんね、待たせちゃって」  
 優樹がそう言うと、千佳子は優樹からジュースの入ったコップ受け取りながら、心配そうな表情で優樹に聞いた。
「かずくん、大丈夫」
「うん、怪我も、大した事無かったよ。」
「私がグローブを変えたせいかなー」
「違うよ、僕が変なボールを投げたからだよ」  
 優樹はそう言うと、まだ自分のせいだと思って落ち込んでいる千佳子を慰めようと、必死になって千佳子を励ました。千佳子は自分を励まそうとしている優樹の話しを聞くと、頭から離れなくなっていた、良和とあいさつをした時に感じた事を思い切って優樹に聞いて見た。
「かずくんて、どこか悪いの?」
「なんで」
「話し方、とってもゆっくりだし」  
 千佳子のその言葉で、優樹は少し淋しそうな表情になった。そして手に持っていたコップを床に置くと、立ち上がって開いている窓の外を眺めながら千佳子に言った。
「みんな、知恵おくれなんて言ってるよ。別にどこも悪くないのになぁ・・・・。ただ話すのがゆっくりなだけなのになぁ・・・・。」  
 優樹の言った言葉の意味を理解できた千佳子は、何の言葉も掛けられず、オレンジ色に照らされた優樹の悲しそうな顔を眺めていた。優樹はしばらく黙っていたが、窓際に二つ並べられた勉強机の一つに座ると、悲しそうな笑みを浮かべながら千佳子に聞いた。
「ちいちゃん、かずくんの事嫌い?」  
 千佳子は即座に首を横に振った。
「本当?」
「だって、かずくん優しいもん」
 千佳子のその言葉で、二人は優しい笑顔を浮かべあった。
「よかった。でもみんなはかずくんの事、好きじゃないみたいなんだ」
「どうして?」
「今はそんなでもないけど、前は二人共、みんなに冷やかされたりして、大変だったんだよ。でもガっちゃんが、冷やかしてくるやつ達にいろいろ言って、追い帰してくれたんだぁ」
「へぇー、ガっちゃんて意外と優しいんだねぇー」
「うん、僕も、最初は怖そうだなぁーて思ってたんだけど、それから仲良くなって、そこの広場で一緒に野球やる様になったんだ」
「ガっちゃん、野球やるんだ」
「やるなんてもんじゃないよ。僕なんか、かなわないもん。球だってすごく速いんだぁ」
「へぇー、見てみたいなぁ」
「今度やる時、誘ってあげるよ」
「本当」
「うん」
「いつやるの?」
「んー、ガッちゃん達とは、かずくんと約束してない日は、いつも一緒にやってるからなぁー、んー、でも野球チームの練習がある日もやってないから、だいたいだけど、来週の初めくらいだと思うよ」
「野球チームって?」
「子供会の」
「そっちでも野球やってるの!」
「うん」
「へぇー、ゆうくんて本当に野球好きなんだね。あのポスターも、ゆうくんが貼ったの?」  
 千佳子は押し入れの方を指差しながら、優樹に聞いた。
「うん、格好いいでしょ。僕、プロ野球の選手になるのが夢なんだ」  
 優樹は目を輝かせてそう言うと、むくっと立ち上がり机の横に立て掛けてあった木製のバットのグリップを右手で持って、肩と水平になるくらいまで持ち上げた。そして少しの間、誇らしげにバットの先の方を眺めると、今度は照れくさそうな表情になり、バットを元の場所に立て掛けた。
「ちいちゃんて、将来何になりたいの?」  
 優樹にそう聞かれると、千佳子は恥ずかしそうに
「洋服屋さん」と、答えた。
「へぇー」
 その後千佳子が家に帰るまでの間、優樹は千佳子に、洋服の事を色々聞いてきたが、千佳子は洋服の知識など無かったのと、恥ずかしそうに言った自分の夢が、目を輝かせて言った優樹の夢と、遠くかけ離れているような気がしたので、何も答えられずに顔を赤くして身を縮めていた。 

 

 


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