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▼ 第26回投稿作品 ▼


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          13

 夜の川原に、虫と蛙の鳴き声が響き、川を流れる水の音が川原を包み込んでいる。

「んーー」
 千佳子は、あまりの蒸し暑さに目を覚ました。天井の隙間から月明かりが差し込み、かすかに中を照らしている。寝起きでぼーとしている千佳子が、その光の方に顔を向けようとして首を動かした。すると、千佳子の隣に、もさもさとした物が横たわっていたので驚いて起き上がり、そのもさもさとした物に目を凝らした。
「しゅんちゃん!」
 千佳子はそう言うと、自分の隣で寝ていた瞬の頭を撫でた。千佳子は瞬を撫でながら、たぶんここは小屋の中だろうと思い、扉を探そうと這いつくばりながら、壁を触っていった。
「ワン!」
 千佳子が小屋から出たいと察したのか、瞬が吠えた。
「ガタン」
「ちいちゃん、起きたか」
 扉が開き、男の人が、小屋の中を覗き込みながら言った。
「うん」
 千佳子は、返事をすると、這いつくばって外に出た。
「ちいちゃん、上を見てごらん」
 靴を履いて立ち上がった千佳子に男の人が言った。千佳子は、空を見上げた。外灯のない川原の夜空に月が輝き、七月の星座が瞬いている。
「きれい」
 千佳子が、思わず声を上げた。
「俺、こっから星見るの好きなんだ」
 しゃがんで空を見上げていた男の人が、つぶやく様に言った。それを聞いた千佳子が、男の人の方に顔を向けた。空を見上げている男の人の顔が、月の光に照らされ目が光っている。千佳子は、その寂しげな光彩を放つ男の人の瞳を、少しの間見つめていた。

「ちいちゃん、お腹へったろ。パンでも食べるか?」
 しばらくの間、二人で星を見ていると、男の人が千佳子に言った。
「うん!」
 男の人は、千佳子がうれしそうにうなずくと、小屋に行ってコッペパンを二つ持ってきた。そして千佳子に一つ渡した。
「おいしい!」
 昼から何も食べていなかった千佳子は、声を上げて美味しそうにコッペパンを食べた。男の人が、千佳子の隣に座っている瞬に、ちぎったコッペパンを食べさせている。千佳子は、コッペパンを食べながら、対岸を見渡した。工場の水銀灯と、数珠の様に並んでいる東名高速道路(とうめいこうそくどうろ)のオレンジ色の外灯が、派手に輝いている。それを見た千佳子は、なぜか悲しい気持ちになっていた。
「じゃあ瞬、体洗おうか」
 かがんで瞬にコッペパンを食べさせていた男の人は、そう言って立ち上がると、また小屋の中に入って行って、今度は石鹸とタオルを持って出てきた。瞬が、うれしそうに男の人の周りを走り回っている。
「ちいちゃん、瞬の体洗うから手伝ってよ」
 突っ立ったまま対岸を見ていた千佳子に、男の人が歩きながら言った。歩き出した男の人の後を瞬が、うれしそうに着いて行く。
「どこで洗うの」
 千佳子は、立ち止まったまま聞いた。
「川で洗うんだ」
「へぇー」
 千佳子は、そう言われると、少し首を傾げながら男の人の後を着いて行った。

 二人と瞬が、川に下りていく階段に着くと、男の人が階段の中腹で、靴を脱ぎながら千佳子に瞬の首輪を外してくれと頼んだ。
「あれっ」
 千佳子が、月明りだけを頼りに、瞬の首輪を外そうと、悪戦苦闘している。その間に男の人は、川に入るために、長ズボンの裾を捲り上げていた。千佳子が、やっとの思いで首輪を外し、外したよと言いながら、首輪を階段の上に置いて、男の人の方に顔を向けた。男の人の左足の脛にある大きな傷跡が、川に反射した月の光に照らされている。千佳子は、その傷のあまりの大きさに驚きながら見つめていると、首輪を外された瞬が、走り出して川の中に入って行った。
「ちいちゃん、手伝って」
 川に入りながら男の人が千佳子に言った。千佳子は、驚いた顔をしたまま、靴と靴下を脱ぐと、スカートが濡れないように気を付けながら、川に入って行った。

「瞬、遊んどいでぇ」
 男の人が、体を洗い終えた瞬に言うと、瞬は足の着かない川の深い所に泳いで行った。それから男の人と千佳子は、川から上がると、階段を上り、中腹の所で並んで腰を下ろした。男の人が、千佳子の足を、ボロボロのタオルで拭いている。千佳子は、足を拭かれながら少しの間、川で泳いでいる瞬を見ていたが、しばらくすると、気になっていた傷の事を男の人に尋(たず)ねた。
「あー、これはねぇ、瞬に噛(か)まれたんだよ」
「えー、しゅんちゃんにー」
「うん、そうだよ」
「なんでぇ」
 男の人は、千佳子に瞬に噛まれた訳を聞かれると、苦い表情を浮かべながら千佳子に話した。
 男の人が、瞬に噛まれたのは、去年の秋のことであった。瞬はその年の秋よりも前に、サイクリングコースを散歩していた雑種の雄犬と、男の人が見てない時に交尾してしまったのである。そして去年の秋、瞬は八匹の子犬を出産したのだが、八匹中六匹は、出産してからすぐに死んでしまい、残りの二匹も、あまり元気のいい状態ではなかったのであった。男の人は死んでしまった子犬を埋めてあげようと思い、瞬から取り上げようとしたが、瞬は一向に、子犬のそばを離れようとせず、近づくと今にも噛みつきそうな声で唸るのであった。困り果てた男の人は、瞬の首輪に付いている鎖を無理やり引っ張って、瞬を子犬がいる所から引き離すと、地面に杭を打って鎖を繋ぎ、子犬に届かない様にしたのであった。それから男の人は、拾ってきたダンボール箱に子犬を入れて、どこかに埋めに行こうと歩き出したが、瞬の子犬達に近づこうとするもの凄い力で、地面に打ちつけられた杭が抜け、ダンボール箱を持っていた男の人の左足の脛に噛みついたのである。男の人があまりの痛さに、声を上げながらダンボール箱を落として倒れると、瞬がダンボール箱のそばに行き、またそこから動かなくなってしまったのであった。
「まったく、痛かったよ。死ぬかと思った」
「それから、どうしたの?」
「しょうがないから、小屋の近くに木があるだろ」
「うん」
「それに鎖を縛り付けて、取り上げたんだ。」
「へぇー」
 千佳子は、自分が見たことのない瞬の一面を聞いて、驚いて目を見開いていた。
「それで、その死んじゃった子犬達どうしたの?」
「あー、ここからもっと下流にある、ひょうたん池の近くの川原に埋めたんだ」
 千佳子が、瞬に初めて会った時の事を思い出しながら、うなずいている。
「ねぇー、残った二匹の子犬はどうしたの?」
 千佳子が、男の人に尋(たず)ねると、男の人は苦笑いをしながら、
「残りの二匹も、それからすぐに死んじゃったんだ」と、答えた。
 それは嘘であった。男の人は、瞬から死んだ子犬を取り上げた時、生きている子犬も取り上げたのであった。そして男の人は、瞬が妊娠した時から、生まれても飼えないと解っていたのと、浮浪者の犬に貰い手がないのも知っていたので、死んでしまった六匹の子犬を埋める時に、生きていた二匹の子犬を殺して、いっしょに埋めたのである。しかし、そんな残酷な事を自分がしたと、千佳子に言えるはずもなく、男の人は、この時嘘をついたのであった。
「しゅんちゃん、かわいそう」
 千佳子が、うつむきながらつぶやいた。
「ちいちゃんは、女の子だから、俺よりも瞬の気持ちが解るのかもしれないなぁ」
 そう言いながら、男の人は立ち上がると、階段を降りて行って、泳いでいる瞬を呼び寄せた。千佳子は階段の上に座ったまま、月明かりに照らされた、力のない男の人の背中を見て悲しい気持ちになり、なぜか祖父正造の事を思い出していた。

 次の日になると、男の人は少し落ち着いた千佳子に、家に帰るように言ったが、千佳子は震えながら首を横に振った。父親が出張で家にいないので、家に帰っても母親と二人でいるしかないと、千佳子も男の人に帰れない事情を話すのだが、男の人も譲れないといった様子で、何度も千佳子に帰るように言い寄った。しかし何度も言い寄っているうちに男の人も、あんな事をした母親と千佳子を二人きりにする自分を認める事が出来なくなり、しかたなく父親が出張から帰って来る間だけと条件をつけて、千佳子を小屋に泊める事にしたのである。そして、自分は社会人ではないので、何かと疑われやすいから、昼間は外に出ては行けないなど、千佳子にいろいろな約束事を付け足したのであった。千佳子は男の人の立場をよく理解していたのか、言われた事をよく守り、昼は小屋の中で瞬と寝て、夜は川原で瞬と遊んで過ごしたのであった。しかし、頭からどうしても母親の放心した顔が消えず、千佳子は震えるほど家に帰りたくなかったので、男の人に父親が出張から帰って来る日を聞かれると、実際の日より一日先の日を言ったのであった。

 

 



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