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▼ 第26回投稿作品 ▼


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 五月に入っても、千佳子に女の子の友達は出来なかった。真弓のノイローゼが前よりも悪化した事が一番の原因であったが、千佳子も、もうあきらめた様子になっていて、家に帰るとコンピューターゲームにしがみつき、優樹と遊ぶ以外は外に出ない様になっていた。一方太一は、千佳子にテニスゲームで負けた事が相当悔しかったのか、あの一件以来、数人の野球仲間を連れて、何度も千佳子の家に来ては、テニスゲームをやる様になっていた。千佳子は最初、太一が家に来る事に抵抗を感じていたが、一人でやるよりも対戦相手がいるほうが楽しかったので、真弓がパートで太一の野球チームの練習が無い日は、太一が千佳子の家に来てゲームをやるのが習慣になっていた。
 五月の最初の晴れた月曜日、この日も太一が千佳子の家に来る事になっていた。千佳子は学校が終わり家の前に着くと、いつもの様に首から下げている鍵で、玄関のドアーの鍵を開けようとした。
「あれ」
 鍵を右に回しても、いつもの様な鍵が開く音がしないので、千佳子は首をかしげながらドアーのノブを左に回した。
「カチ」
「開いてる」
 千佳子は少し不安な表情になり、恐る恐るドアーを開けて玄関に入ると、いつも仕事の時に真弓が履いて行っている、少し低めの黒いヒールが置いてあったので、真弓がパートを休んだ事に気がつき、靴を脱いで家に上がると、真弓を探して中に入って行った。
 千佳子は台所に着くと、人がいる気配を感じて周りを見まわした。蛇口から時折水滴がたれ、洗物用の桶(おけ)にあたってポンポンと音をたてている。そして千佳子の背よりも少しばかり低いテーブルの上には、千佳子のおやつとピンク色のバラが刺さった花瓶が置かれていた。千佳子は台所に真弓がいない事を確認すると、いつも三人で寝ている六畳間の方に行ってみた。すると、真弓が、布団の上で氷枕をしながら、苦痛そうな表情を浮かべて横になっていた。
「お母さん」
 千佳子は、真弓が寝てしまっているか確認するために、少し小さな声で言うと、意識がはっきりしていない様な声で真弓が
「なぁに?」と、答えた。
「お母さん、今日ガっちゃんて言う同じクラスの男の子が来て、一緒にコンピューターゲームやるって約束しちゃったの。やってもいいでしょ」
 千佳子は、恐る恐る真弓に聞いた。
「うん、いいけど、あんまりうるさくしないでね。お母さん、今日とっても頭が痛いから」
 真弓は、頭痛のために不機嫌そうになった声で千佳子に言うと、千佳子とは反対側の方に寝返りを打った。千佳子は六畳間を出て、台所と六畳間を仕切っているガラス戸を閉めると、テレビの方に行ってゲームをセットし始めた。

 太一と二人の野球仲間が千佳子の家に着くと、テレビのある台所でいつものように、テニスゲームをトーナメントでやり出した。千佳子は相変わらず強かったが、太一も、もう半月近くも千佳子の家に通ってゲームをやっていたので、千佳子から一点も取れずに負ける事は無くなっていた。しかし、まだ千佳子に一勝もしていなかったので、太一は今日こそはと、また肩を強張らせながら、コントローラーを動かした。
「ガっちゃん、いいかげん勝てよ」
 もう何回も太一の付き合いで、千佳子の家に来ていた二人の野球仲間が、決勝戦に進んだ千佳子と太一の試合を見ながら、うんざりした様子で太一にぼやいている。
「解ってるよ」
 太一が不快な声で、二人の野球仲間に言葉を返した。千佳子はゲームを始める前、太一と二人の野球仲間に、真弓が注意した事をあらかじめ言っておいたが、どうしても声を上げてしまう男の子達に、真弓が、いつ起き出して怒らないともかぎらない不安に捕われ、思う様にゲームが出来ずに、太一に点を取られていった。
 1セット先に先取した太一は、2セット目も6ゲーム先に取り、千佳子が3ゲームでその後を追っていた。太一は今度こそ勝てるといった表情で、第10ゲームの千佳子のサーブを待っている。二人の野球仲間も、今度こそは太一が勝つのではないかと、さっきの気だるそうな様子は何処かに消えうせ、興奮した様子で画面を見ていた。千佳子は焦りを回避しようと思って深呼吸をすると、第10ゲームの最初のサーブを勢良く打った。
 第10ゲームが40−40のデユースになると、千佳子と太一はその後で2度デユースを繰り返した。そして三回目のデユースの後、太一がサービスエースを決め、アドバンテージを取り、また決めてやると言わんばかりに、千佳子のサーブを待っている。千佳子はまた深呼吸をすると、太一のコートに速いサーブを打った。画面の中の白い玉が、高速でコートの中を往来している。数回のリレーの後、千佳子の打ったボールを太一が打ち返し、そのボールを千佳子が打ち返すと、ボールが中に浮いて太一のコートに入っていった。
「もらった!」
 太一が、そのボールをスマッシュして、千佳子のコートに打ち返した。白いボールは、千佳子が動かしているゲームのキャラクターと反対の方向に飛んで行き、ベースラインの内側でバウンドすると、後ろの壁にぶつかって転がった。
「やったぁ!」
「いて!」
 太一は両手を上げてその場に立ちあがったが、大喜びして上げた太一の右手が千佳子達の後にあるテーブルにあたり、テーブルの上に置かれていた花瓶が倒れてテーブルの上を転がって行くと台所の床に落ちて割れた。
「ガッシャン!」
 テーブルの上にこぼれなかった花瓶の中の水が、破片といっしょに飛び散り、刺さっていたピンク色のバラが、割れた破片と混ざって、飛び散った水に浸っている。太一と二人の野球仲間は、目を見開きながら、すこしやばそうな顔をしていただけだったが、この花瓶が達也から五年目の結婚記念日に、花好きの真弓に送られた、かなり高価な物だと知っていた千佳子は、今にも泣き出しそうな顔になっていた。
「ガラガラ」
 花瓶の割れた音を聞きつけた真弓が、仕切られたガラス戸を開けて台所にやって来た。真弓は割れた花瓶を見つけると、怖い顔をしながら、誰がやったか、千佳子と三人の男の子に問いただした。すると太一が、正直に手を上げたので、真弓は太一の方に寄って行った。
「バシ!」
 真弓はかなりの力を込めて、太一を張り手で殴ると、太一はその場で倒れ、大きな声を上げて泣き出してしまった。真弓は太一が泣いているのもかまわず、太一に名前を聞き出そうとしたが、答えず泣き続けたので、千佳子から名前を聞き出し、電話の横に置いてあるクラス名簿で電話番号を調べると、太一の家に電話を掛けた。太一は、真弓が電話している最中に、泣きながら靴を履いて、千佳子の家を走って出て行くと、来ていた二人の野球仲間も、太一に続いて千佳子の家を出て行った。千佳子は、台所の端の方でうずくまり、ヒステリックにわめいている真弓の声を聞かない様に、両手を耳に当てて泣き続けた。

 次の日の、一時間目の授業が終わると、太一と野球仲間は、いつもの様に教室の前の方に集まっていた。
「おかあちゃん、もうあんな家行くなだって」
 いつもみんなを仕切って強い口調で話す太一が、とても弱々しい声で周りの野球仲間に話している。千佳子は今日欠席していた。昨日の件は結局、太一の母幸子が花瓶を弁償する事になったのだが、限定品でしかも三年も前に買った物であったので、同じ物を弁償する事は出来ず、買った時の代金を支払うとゆう事になった。そのために真弓は、弁償する事が決まっても、かなり不満そうに電話を切ったのであった。
「いいかみんな、もう、ちいちゃんと話すなよ」
 優樹以外の野球仲間は、太一が昨日の事を話したせいで、首を縦に振っている。
「ゆうくんもだぞ」
 あまり納得していない優樹に太一が言うと、優樹は
「うーん、でも僕、席隣だし」と言って、困った顔をしていた。
「じゃぁ、ゆうくんは授業中はいいよ。でも休み時間はだめ」
 太一はきつい声で優樹に言うと、困った顔をしていた優樹ではあったが、周りの雰囲気に押されて、結局最後には首を縦に振った。
「いいか、ちいちゃんと話したら、野球チームから出てってもらうからなぁ」
 全員が賛成した事で強気になった太一は、少し大きな声でみんなに言うと、千佳子としゃべっただけで野球チームから外されるとゆう恐怖が、太一以外の野球チームの男の子に駆け巡り、みんな不安な表情になって、周りの子達と顔を見合わせている。教室の外は、梅雨の到来を感じさせる雨が降っていた。
 次の日千佳子が学校に行くと、千佳子に対するクラスの生徒達の態度が険悪な物になっていた。それでなくても親分肌な太一の流した情報は、野球仲間に伝わると一気にクラス全体に広まったのであった。何も知らない千佳子は教室に着くと、まずは太一の所に行き、一昨日真弓が殴った事を自分で謝ろうと思い、太一の所に行ったが、太一は千佳子の方には見向きもせず、野球仲間全員を連れて、教室の外に出て行ってしまった。教室の外は、昨日からの雨が降り続いている。千佳子は何がどうなっているのか解らず、周りを見廻すと、クラスの生徒達が、いつもの様にグループに分かれて、無視された千佳子の方をちらちらと見ていた。千佳子は何をどうしていいか解らなくなり、自分の席に着くと、両手を机の上に乗せ、その腕に顔を押し当てて、声を上げて泣いた。
「キーンコーンカーンコーン」
 教室の外にいた生徒達が急いで中に入って来る。朝のホームルームが始まる鐘が鳴っても、千佳子は泣き続けていた。
「ガラガラ」
 河合先生は教室に入ると、千佳子が泣いているのに気が付き千佳子の席の方へ近づいて行った。
「千佳子ちゃん、どうしたの?」
 河合先生は心配そうに千佳子に聞いた。
「何があったの?」
 千佳子は繰り返し聞いてくる河合先生の質問に答えられず、しばらく泣き続けると、泣くのを止めたが顔は上げなかった。
「何があったの?」
 泣き止んだ千佳子に、河合先生はもう一度聞いたが、千佳子は、何も答えようとしない。
「千佳子ちゃん、黙っていたんじゃ解らないでしょ」
 千佳子は河合先生にそう聞かれても、何も答えなかった。困り果てた河合先生は、
「困ったねぇ、じゃぁ後で職員室行って話そうねぇ」と言うと、教壇に行って、朝のあいさつを始めた。
「起立、礼、着席」
 朝のあいさつを促す、日直の子の声が、教室に響いている。その声を聞いた千佳子は顔を上げると、席についたまま放心した様子で、みんなが頭を下げてあいさつしているのを見ていた。
 この一件以来、千佳子はたびたび学校を休むようになった。結局、職員室でも河合先生に何も言わなかった千佳子は、学校に行ってもみんなに無視され、完全に孤立した状態になったのである。そして転校してからあの一件があるまで、唯一家に遊びに行っていた優樹さえも、休み時間は太一と行動して、話す機会がなく、授業中、千佳子が話しかけても、どこかぎこちなく話してきたので、千佳子は優樹と遊ぶ約束が出来なくなったのであった。そのために、千佳子は学校が終わって家に帰ると、ただひたすら家にこもって、コンピューターゲームをやる様になってしまったのであった。 

 

 

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