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▼ 第26回投稿作品 ▼


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小田原市を流れる酒匂川には、橋がたくさん架かっていて、その中に川の東側にある桑原と西側にある中曽根に架かった富士道橋と言う橋がある。その名のとおり、橋から西の空を望めば、明神・明星ヶ岳の頂きの向こうに富士の山が見え、東の空を望めば、丹沢の山々を見渡す事が出来る。そして橋の中腹から川を眺めると、川の両側に企業の工場が立ち並ぶのが見え、時折煙突から吹き出る煙が、川の近隣に住む人達の鼻に不快な匂いを漂わせ、夏の晴れた日によく起きる光化学スモッグの原因の一つにもなるのであった。

 四月九日、その富士道橋の西側の袂にある小田原市立城東小学校に、二年生への進級に合わせて転校をした千佳子は、始業式が終わり、学校の中でも一番古い木造校舎の中にある、二年一組の教室に来ていた。二年生に進級と言っても、千佳子以外の生徒は一年の時からの繰り上げなので、千佳子が一人だけ新しくこのクラスに入るという形になり、千佳子は、自己紹介するために、担任の河合智子(かわいともこ)先生と二人で、教壇の上にある机の横に並んで立っていた。
「今日はみんなに、新しいお友達を紹介するねぇ」
 千佳子の隣に立っていた河合先生がクラスの生徒に言った。
「河原千佳子と言います。どうぞよろしく、お願いします」
 千佳子は、頭を下げながら、緊張した様子でクラスの生徒に向かってあいさつをした。教室の窓から入ってくる西日が、生徒たちを照らしている。千佳子は頭を上げると、それ以上何も言わずに、教室の後ろにある黒板に目を向けたまま、立ち尽くしていた。そんな千佳子を見て、河合先生が、
「千佳子ちゃんは、どこから来たのかな?」と優しい声で促す様に聞いたが、千佳子は相変わらず、黙ったまま何も言おうとしない。困った河合先生は、少し黙って千佳子が口を開くのを待っていたが、何も言おうとしないので、クラスの生徒の方に向くと、教室に響き渡る様な大きな声で、
「河原千佳子ちゃんは、広島県にある、広島西第一小学校からきました。みんな仲良くしてあげてね!」と言った。すると、広島と言う、かなり遠くの地名を聞いたせいで、クラスの生徒の中から、どよめきが起こった。そのどよめきと、珍しそうに千佳子を見つめる生徒達の視線を受けて、千佳子は、うつむき、下を向いてしまった。
「千佳子ちゃんそんなに緊張しなくていいのよ」
 河合先生は、優しい声で、下を向いている千佳子の顔に、自分の顔を近づけて言った。
「……」
 千佳子は、相変わらず黙ったまま、恥ずかしそうな表情を浮かべて下を向いている。それでも河合先生は、優しい声でいろんな事を千佳子に質問したが、相変わらず千佳子は、顔を赤らめて、下を向たまま何も言わなかったので、河合先生は手で、千佳子の肩をさわりながら、
「じゃあ。席に着いて」と言うと、千佳子は、出席番号順に並べられた座席の、自分の席に戻って行った。


「キーンコーンカーンコーン」
「先生さようなら」
「はい、さようなら」
 河合先生とクラスの生徒が向き合って帰りのあいさつをしている。千佳子はホームルームが終わり、ランドセルを背中にしょって帽子をかぶると河合先生といっしょに、下駄箱がある出入り口の方へと歩いて行った。
 出入り口に着くと、つき添って学校に来ていた真弓が、二年一組の下駄箱の前で、千佳子が来るのを待っていた。
「先生すいません、こんな所まで送っていただいて」
 真弓は千佳子の横について来た河合先生に、申し訳なさそうに言った。河合先生が会釈している。
「今日は、みんなにちゃんと、あいさつ出来た?」
 真弓は、河合先生の横で、恥ずかしそうにして立っている千佳子に聞いた。すると千佳子は「うん」と真弓につぶやく様に答え、恥ずかしそうに下を向いている。それを見ていた河合先生は、
「立派なあいさつでしたよぉ。でも少し緊張しちゃったのかな?」と、帽子をかぶっている千佳子の頭を撫でながら言うと、心配そうに千佳子を見ている真弓に、
「今回、私が、受け持つ二年一組の子達は、転校生を入れるのが初めてなんですよぉ。特に千佳子ちゃんみたいに、遠くから来た子は、学校内でも珍しいので、クラスの子達も、少し戸惑っている感じがしますけど、そのうちお互いに慣れると思いますから、あんまり心配なさらないでください」と、千佳子に話した時とは違う口調で、励ます様に言った。
「先生、さようなら」
「さようなら」
 三人が立ち止まって話している周りで、別の生徒達が、下駄箱から外履きを取り出して内履きをしまい、下駄箱のすぐ下に敷かれた大きなすのこの上で外履きを履いて、河合先生にあいさつをしながら、足早に出入り口へと歩いて行く。真弓は頭をさげながら丁寧に、
「これからも、千佳子の事を、よろしくお願いします」と言い、続けて河合先生と二言三言あいさつを交わすと、千佳子も河合先生に、
「先生、さようなら」「さようなら」と挨拶を交わして、二人は、古い木造校舎を出て、正門へ行く途中にある中庭へと歩いて行った。

 二人が、中庭に着くと、中庭は、これから帰る子供達でにぎわっていた。中庭に植えられた桜の木によじ登ってはしゃいでいる子や、所かまわず大きな声で話す子供達の声が、中庭を覆っている校舎に反響して、中庭全体に響き渡っている。
「大丈夫、すぐにみんなと仲良くなれるよ」
 真弓は、周囲の状況とは裏腹に、少しうつむいて元気のない千佳子に、慰める様に言った。それでも千佳子は、うつむいたまま、
「うん」とうなずくだけで、黙って下を向いている。足元には、子供達に踏まれて、泥だらけになった桜の花びらが、降り積もっていた。真弓は、少し心配になったが、河合先生が言った様に、元気がないのは最初の内だけだろうと思って、それ以上何も言わずに、千佳子を連れて、正門へと歩いて行った。

 正門を出て荒地を貫いたように通った道を歩いていると、真弓は元気のない千佳子に何か買ってあげたいと思った事と、自分も少し買い物をしたいと思った事で、千佳子にスーパーマーケットに行こうと誘った。すると千佳子が嬉しそうにうなずいたので、二人は登校してきた住宅地へ続く道をそれて、スーパーマーケットの方へと歩いて行った。


 二人が、人通りが多いい、スーパーマーケットの前の道を歩いていると、前の方から、達也の母紀子(のりこ)が、スーパーマーケットのビニール袋を持って、二人の方にやって来た。
「あら、真弓さんお買い物?」
「ええ」
 真弓は、紀子に聞かれると、少し笑みを浮かべて答えた。
「ちいちゃん、お母さんにたくさんお菓子買ってもらいな」
「うん!」
 紀子はそう言うと、笑みを浮かべながら、二人の横を通って歩いて行った。
「ちいちゃん、今晩何食べた言い?」
 真弓は、紀子が立ち去ると、笑みを浮かべたまま、すぐに千佳子に聞いた。
「ええとねぇ、カレーライス!」
「じゃあ、今日は、お母さん特製のカレーライスに決定!」
「やったぁー」
 千佳子が、嬉しそうな声を上げると、真弓は千佳子を連れてスーパーマーケットの入り口の方に歩いて行った。


 真弓が買い物を終えて、二人でスーパーマーケットから家に行く、人通りの少ない道路の歩道を歩いていると、千佳子が、買ってもらったジュースを飲みながら、
「ねぇ、何でおばあちゃん達と住まないの?」と真弓に尋ねた。

 達也の一家が、達也の父幸太郎(こうたろう)、母紀子の住む達也の実家を出て、近くの二階建ての安いアパートに移り住んだのは、つい最近の事であった。真弓は、小田原に引っ越して来ると、千佳子もだいぶ成長して少し手が離れた事と、前から自分も働きたいと思っていた事で、小田原駅前にあるデパートの婦人服売り場で店員のパートを始めたのであった。しかし、結婚して夫と子供がいる女性が働くという事をまるで理解できない幸太郎としだいに衝突する様になり、また、パートに慣れだして帰りが遅くなり、自分とは違う時間帯に家事をやる様になった真弓に、紀子までつっかかってくる様になったので、真弓は段々と家の中に居場所を無くしていった。真弓はその事を達也に相談すると、達也は、真弓が千佳子を育てるのに支障の無い程度働く事には賛成だったので、両親に、真弓が働く事について理解してもらおうと説得してみたが、今度は、その事で、達也まで両親と衝突する様になってしまった。達也は、祖父母との、これ以上の決裂を避けるために、少し距離を置こうと思って、真弓と話し合うと、この家を出て、千佳子が通う事になっていた学校の学区内でアパートを借りて三人で住み、様子を見ようという事になった。
 千佳子は事のしだいを子供なりに感じとっていた様だが、周りも子供の前で言い争うほど気のきかない人間ではなかったので、千佳子は実際に両親と祖父母が言い争っている所を見ていなかった。そして引っ越してから千佳子が達也と真弓に訳を聞いても、二人とも適当な事を言ってその場をごまかしていたために、千佳子は、達也の実家を出て今のアパートに引っ越した本当の理由を知らなかったのである。
「おじいちゃんとおばあちゃん、お母さんのこと嫌いなの」
 少し重たい口調で、意味ありげに言った真弓の言葉を千佳子は、理解出来ずにいたが、千佳子はその言葉に返すように、
「お母さんの事、嫌いって?」と聞いた。
「お母さんには解らないの、おじいちゃんとおばあちゃんに聞いて」
 真弓は少し吐き捨てる様に千佳子に言うと、また同じ事を千佳子が聞いてきたので、苦痛な表情を浮かべ、前を向いて黙り込んでしまった。そんな真弓の態度を見た千佳子は、真弓と同じ様に黙って前を向いた。それから二人は、並んで歩いているにもかかわらず、何も言葉を交わさずに、ひたすらアパートに向かって歩いて行った。

 蛍田駅前にある道路の歩道を歩いて煙草屋の前に来ると、左に市営住宅地へと続く道があり、真弓はそこがアパートに行く近道だと知っていたので、千佳子を連れてその道に入って行った。そして、二人がその道を少し歩いて行くと、千佳子から見て左側に蓮正寺公園が見えてきた。千佳子は引っ越す前に小田原に来た時、いつも帰りが遅く、休日になってもあまり遊んでくれない達也と、この公園で遊んだ事を思い出し、二十メートルくらい先にある公園の方へ視線を移した。すると数人の、髪の毛を赤く染めた中学生が、制服のまま公園にある鎖に登ったり、タバコを吸ったりして、たまっているのが見えた。千佳子は、なんだか怖くなり、公園の前を通る前に、真弓の後ろに隠れた。真弓も状況を察したのか、何も言わずに千佳子を後ろにくっつけたまま、少し車道の方に寄って公園の前を通ろうとしていた。
 二人が公園の前を通っている時、コンクリートを、お椀を伏せた様にかたどった、高さが一・五メートル直径が三メートルくらいある滑り台のてっぺんで、タバコをふかしている少年が、
「おー、可愛い女の子だなぁー」と千佳子の方に向かって、周囲に聞こえるような声で言った。その声で、たまっている別の少年の何人かも、千佳子の方に視線を移した。すると公園の方をちらちらと横目で見ていた千佳子はさらに怖くなったのか、公園がある方と逆の、真弓の体の右側にピッタリとくっついてしまった。真弓は、右手に持っていた鞄とスーパーマーケットのビニール袋を左手に持ちかえると、その状況にあまり関わりたくないと言った様子で、千佳子を体の右側につけたまま、公園の前を少し速い足取りで通り過ぎようとしていた。
 真弓達が、公園の出入り口の前を通っていると前の方から、たまっている中学生達と同じ制服を着た一人の少年が、自転車に乗って公園の方に向かって来た。少年が、かなりのスピードで、真弓の横を通り過ぎて行く。
「きゃあー」
 自分の体のすぐ横を少年が通り過ぎたために、びっくりした真弓は思わず声を上げその場に立ち止まった。そんな母親の声を聞いた千佳子も、体を振るわせながら、ぴったりと真弓にくっついている。
 自転車に乗った少年は真弓の声など気にも止めずに、たまっている中学生がいる所まで行くと、みんなに向かって大きな声で言った。 「せんこうにばれたぞ! 早く逃げた方がいいぞ!」
 すると滑り台の上にいた少年が、立ち上がって、
「とりあえず俺ん家にいこうぜ!」と、周りの少年達に聞こえる様な声で言った。その声を聞いた少年達は、あせっている様な、それでいてどこかはしゃいでいる様な表情を浮かべている。それから少年達は滑り台の下に集まると、滑り台の上にいた少年を先頭にして、小走りで市営住宅が立ち並ぶ方へと消えて行った。真弓達は少年達が消えて行く様子を、恐る恐る後ろを振り返るようにして見ていたが、少年達の少しはしゃいで逃げていく声がだんだんと薄れていくと、二人とも我に返り、自分達が住むアパートへと帰って行った。

 

 



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